和尚のちょっといい話
正月明けから三日続きの雪となりましたが、それでもお正月気分は依然持続中で、のんびりムードの終日を過ごしました。今日は年賀状の整理ということで、一枚一枚、裏も表もしっかりと読ませていただきました。一年に一度の各人様の消息を知る唯一のお便りなれど、やはり嬉しいものですね。添え書きも短いながら思いの篭ったものばかりで、親近感を感じさせてくれます。御一人御一人の姿を思い浮かべながらの拝読でしたが、なかには思い出せない御方もあり、なんとも申し訳なく思うものもあります。これまでには沢山の方々と出会ってきたわけですが、年賀状は簡潔にしかも確実にその人を身近なものにさせてくれる効能があるようで、極めて大切なものであることを再認識しています。いつも年の暮れになって慌てて作成してきた年賀状でしたが、来年の年賀状は家族情報満載のものにしたいと反省いたしました。毎日書いている和尚のブログも情報の一つだけに、多くの方々に読んでいただけるよう頑張って行きたいものです。何よりも嬉しく感じるのは家族揃っての写真ですね。またお孫さんの写真などもいいですね。
年賀状はまだまだシンプルなものが多いですが、近未来には3Dの年賀状が登場するかも知れませんよ。親戚や友人たちの消息を知ることは本当に、こころからほっこりするものです。昨年は多くの新たな出会いを頂きましたので、初めて頂いた年賀状に早速お返事を書くことが和尚の初仕事となりました。明日からは年頭回礼(檀家様への新年のお参り)が始まります。檀信徒の皆様、本年もよろしくご法愛賜りますようお願い申し上げます。友峰和尚より
大雪となりました元旦二日目、皆様に於かれましてはお健やかにお正月をお過ごしの事と思いますが、まるで時間が止まったかのような静けさです。実に心安らかなゆったりとした休日ですね。何もかもが冬眠しているようなお山の中の禅寺の風情を楽しんでいます。今年のテーマが「遊戯三昧(ゆげざんまい)」ですから、まさに「あるがまま」の心境です。お正月のテレビ番組では、現在活躍されている若き芸術家などを紹介、放映されていますが、普段はあまり取り上げられないために興味深く見ています。和尚なども書道に格別な思いが有ったわけではなく、父の書を書く姿を普段から見たり手伝っている内にいつの間にか書いていたというようなものですから、やはりDNAを感じる時があります。父の書はとても味わいのある書体で、子供心に「うまいなっ」と思っていたものです。今でも父の書を床の間に飾って在りし日の父を書から偲んでいます。今年は昨年にも増して書道に力を入れて行きたいと念じています。さて、昨年の暮れに、ニューヨークのサラ・ローレンス大学、大山小百合先生より御手紙と生徒からの沢山の御葉書を頂きました。
「和尚感激!!」です。個展開催の折、日本語1クラスの学生さんに書道を教えましたが、その時の生徒さんからの新年のメッセージと感謝の言葉が綴られた心温まる年賀状でした。もしこのブログを大山小百合先生がご覧頂いていましたら、生徒の皆さんに「ハッピーニューイヤー!」とお伝えください。先生始め学生皆さんのご来寺をお待ちしていますよ。個展開催のご法縁が実って行くことを切に願う元旦となりました。友峰和尚より
新年あけましておめでとうございます。大晦日から一変して銀世界の元旦の朝を迎えました。なにもかもが洗い清められた感の新年となりましたが、本年も御法愛のほど宜しくお願い申し上げます。何度経験してもお寺でのお正月は全くに格別なる心境を得るものです。除夜の鐘を撞き、その音色が山々にこだまして、その余韻を残す中での目覚めとなりますが、本当に気分が一新しますから不思議ですね。「新年!!」という感じです。
新年の御祈祷
古来より何百年もの間、連綿として続けられて来た新年の行事ですが、これこそが「仏法」の真理だと思います。ご祈祷の後に新年法話をいたしましたが、何と言いましても「家内安全、健康安心」が大切なことかと思います。一年を無事に過ごすことの困難さとまた無事に過ごせたことの喜びと感謝が大晦日と元旦に凝縮されるようです。除夜の鐘撞きにも多くの方が参加してくださいました。一撞き、一撞きされるその姿には喜びと感謝の心が感じ取られました。どうか皆様にとりまして、今年一年無事に過ごされますことを心より御祈念申し上げ、新年のご挨拶といたします。友峰和尚より
とうとう大晦日を迎えました。本日は23時50分より、行く年 来る年の除夜の鐘を撞きますので、ブログをご覧いただいている皆様、是非ご参加ください。ブログも記念すべき第500話を迎えました。来年の干支は「羊」ということで、その「羊」に因んで「遊戯三昧(ゆげざんまい)」という禅語を来年1年間の法話の題材としましたが、今日は午後より、その言葉の揮毫を致しました。「遊戯三昧」の意味は以前のブログでもお話ししましたが、御仏たちが、こだわりや捉われを捨てた自由自在な心の働きを見せる様子を表わしたものです。羊が群れを成して悠々と草を食む姿からそのような言葉を選んだわけですが、本当に心からとらわれの無い、心安らかな日々を過ごして参りたいと念ずる次第です。
除夜の鐘をひと撞きひと撞きしながら108の煩悩を打ち払いたいわけですが、煩悩は無尽蔵に湧いてきますから108回撞いたぐらいではとてもとても断ち切れないのが本音ですね。幸いに鐘の音色と共に煩悩が幾重にも幾重にも消滅して行くという事ですから、そのひと撞きに値打ちがあるというものです。これこそ「本音!!」綺麗にお掃除の行き届いた鐘つき堂での御祈祷です。皆様方の今年から来年に向けての幸せを祈願する祭事ですので、大いに御参加下さい。年明けの0時15分より本堂にて家内安全、健康安心の御祈祷並びに和尚の新年法話をいたします。この一年間、皆様方には本当に御法縁と御厚誼を賜りましたことに深く感謝と御礼を申し上げます。皆様、良いお年をお迎え下さい。友峰和尚より
愈々今年も残すところあと一日、今日は最後の最後のお掃除デーでした。「一に掃除 二に笑顔 三四元気に おかげさま」この一年も掃除で始まり掃除で終わろうとしています。今年の三月に二人目の新しい命、内孫誕生に始まり金沢市しいのき迎賓館とニューヨーク、サラ・ローレンス大学での個展開催そして寶勝寺本堂全面修復工事開始と実にめでたい事柄の連続でしたが、何より健康で一同無事に過ごせたことを喜んでいます。「安閑無事」こそ、めでたしのめでたしですが、つらつら世の中を感ずるに喜んでばかりもおれなかったこの一年。特に全国的に波及した天地災害の被害はすさまじい物が有りました。こうしている間にも里帰り中の交通事故の悲惨なニュースが流れて来ます。一時として安心できない世の中、だからこその「お掃除」です。常に心の塵を払い、万全の体制にしてスタンバイしておくことが不足の事態に対応できる唯一の状態でもあろうと考えます。皆が無事であることを祈るばかりです。元旦から大荒れの天候になるとかで、大雪に対してのさらなる対策のため融雪装置の点検も大切なお掃除の一つ、掃除はまさに人間の持てる全知識、知恵を有効に使うための手段でもあります。明日の大晦日にはおトイレ、お風呂場、玄関、台所の掃除を徹底してこの一年を締めくくり除夜の鐘祈祷祭に臨みたいと思っています。
それでは皆様! 大きな声を出して言いましょう! 「一に掃除 二に笑顔 三四元気におかげさま!!」「俺がオレがの我を捨てて おかげお蔭の下(げ)で暮らせ!」です。皆様、除夜の鐘を衝くこともお掃除ですぞ。皆様の参加を願っています。友峰和尚より
金沢市野町・少林寺、本多町・瑞光寺の師走諷経のために今年最後のお勤めをしました。いわゆるお経納めとでも申しましょうか、この一年の法務を無事に終えたことに対して開山様に報恩のお経を唱えたわけですが、穏やかなお天気の中でのお参りとなりました。朝方には、大安禅寺の御用達でもある福井の小森庭園主・末政幸憲様より御寄進頂いた門松一対を寳勝寺の山門前に設え、しめ縄飾りをして山門至福の御祈願をしました。
山門前に、門松を設置 / 寳勝寺にて
山門至福の御祈願をしました
今年も随分と多くのお経を唱えて参りましたが、さすがに感慨深い読経となり、門松もどことなしか微笑んでいるようにも感じました。さて昨晩、飛騨高山の安国寺様よりお電話を頂き、その内容は餅つきについてのご質問でしたが、所変われば品変わるで、餅つきにもそれぞれに地方特有の色々な工夫が有りますから、情報交換はなかなか面白いものです。突然のお電話でしたが、その日の和尚の鏡餅搗きブログをご覧いただいたそうで、早速のブログご訪問を嬉しく思いました。
大安禅寺の鏡餅搗き / 昨日のブログから
ちなみに安国寺様は、和尚の大学時代からの親友です。世の中便利になったものですね! そうそう、お医者様の世界では、今日の手術はもはや遠隔ロボット操作で行うことが出来るとか、すごいですね。電子社会の恩恵は色々な分野に限りなく活用されていくようです。そのうち、「遠隔自動操作餅つき機」なんていう物が出てくるかもね、あまり売れないと思いますが。「もちろん」想像です。安国寺様でも、現在も臼で御餅を搗いているそうです。昨日の電話は「御餅で、もちきり」の年末の「ほっこり話題」となりました。友峰和尚より
大安禅寺庫裡にて
早朝から鏡餅の餅つきが行われましたが、今日は世話方の堀江貞富さんに加えて井上周三さんが加勢して下さり、孫も参加しての賑やかな台所となりました。石臼と杵で搗くお餅はやはり言葉では言い表せない、心のこもった微妙な粘りが感じられて、おろし餅やきなこ餅、ぜんざいにして食べると本当に美味しく頂く事が出来ました。
午前中には本尊様はじめ諸堂の仏様にお供えする15組の鏡餅も無事に作り終え、また一歩新年を迎える準備が整いました。残すところあと三日間ですが、愈々山門や玄関の幕張をし、鐘楼の注連縄と除夜の鐘の御祈祷台の準備、最後に境内の掃き掃除をして全てが終了となります。約1か月かけての大掃除!そして迎春準備作業。代々引き継がれて来た準備作業ですが、それに伴って気持ちも次第に入れ替わって行くようで、なんとも御利益を頂きながらの有りがたい法務と感じ取っています。恐らくはこのようにブログに書かなければ誰も知り得ないお寺の師走風景ですね。昨日のNHK特番で小椋佳さんの「生前葬コンサート」特別篇が放映されましたが、このブログも和尚の生前葬ブログのようなものです。この31日で500回目となりますが、この66年の人生を振り返る時、とてもとても一冊や二冊の本で書ききる事など出来ないほどのドラマが有ります。誰もがそうであるように一度っきりの人生ですから、精いっぱいの思いを感謝の心と共に書き記しておきたいものだと感じている今日この頃です。それにしましても小椋佳さんの生前葬コンサートは素晴らしいものでした。心を後世の方々に伝えるには十分であったようです。友峰和尚より
明日はお正月の鏡餅搗きということで、妻がその準備に追われている中、和尚は残りの5日間でさらに干支の色紙書きとお掃除に専念です。大阪から帰宅してみれば晴れ渡った関西の空とは真反対に北陸の空はどんよりと曇っていてなんとも不思議な感じがしますが、長年住み慣れた生まれ故郷は、雪が降ろうが槍が降ろうが大変居心地が良いと感じるのは皆様も同じ心境だろうと思います。ニュースなど見ていますと、さらに極寒の不便な土地に住んでおられる方々もその地を離れないのは、故郷がそこに生まれたものにとって如何に心安らぐ場所であるかを物語っています。むしろ生活するのに困難な地域で有ればあるほど、土地への愛着はより強くなるのかも知れませんね。北海道などは現在では自然の極めて美しい農耕地帯として紹介されますが、それとて多くの開拓民の苦難の歴史を経ての苦労の美しさと捉えますと美しさも一段と際立って感じるものですが、その地域に住んでおられる方にとっては厳しい環境にある事には今もなんら変わりない事実でもあります。今年一年を振り返ってみても、日本のいたるところで災害被害を受けた報道が多かった年でもありました。日本は火山地帯国家でもありますから、古来より幾たびも大きな災害に見舞われ其の度毎に不屈の精神で今日まで耐え抜いて復興してきた民族でもあるように思います。福井県が「不死鳥」を旗印に掲げますのも、その事に端を発しての誓いのような言葉でもあります。「艱難汝を玉にす」とは真に、日本民族の魂の原点を感じさせる格言に思います。
この一年、どれだけ辛抱し助け合って来たかが、来年の平安を占う大切な要素なのかもしれませんね。明日は御餅つき!粘り強く頑張って搗きましょう!友峰和尚より
孫達のご機嫌伺いにクリスマスを利用して大阪の妻の実家を訪ねました。休養だけではなくちゃんとお仕事の目的もあり、長く気に掛けていた、実家の御庭に祀ってあった縞藤大善神様・黒岩大善神様二体の大善神さまを家内とねんごろに御祈願しました。この二体の大善神様のご神体は巳様で、土地の守護神でもあります。
巳様の好物でもあります卵をお供えし御供養申し上げました所、大変に喜ばれて今までどんよりと曇っていた空からお日様が突然ご神体の社を照らし、辺り一面輝いて誠に有り難い霊感を頂いたものでした。摩訶不思議な現象ではありますが、和尚にとっては心安らぐひとときを妻と共に感謝したものです。我々の生命は大地と共にありますから、沢山の生き物や大自然に敬虔な祈りを捧げたいものです。特に、家を建てる時などはその土地は塞がれるため、土を僅かながらも外に出してやる必要があります。古来より現代にまで伝わる神事は全ての生命に対しての感謝の真を捧げる儀式です。さて、祈願も済ませ新しい年を迎える心構えが更に整って行くような一日となりました。友峰和尚より
悲しい事件の報道がなされました。年の瀬の地元で発生した老老介護の末の悲劇事件となったようです。日本社会では現在65歳以上の高齢者が約3000万人を越えるそうで、4人の働き手が1人の老人を見ている時代だそうですから、もはや老老介護の問題は他人事では済まされない、身につまされる報道でした。これまでにも幾たびか老老介護の疲れに因る夫婦間の事件が報道されてきました。独居老人宅に於ける孤独死の問題や認知症問題等、超高齢化社会を迎えようとしている今、大切なことは近所間での日頃の交流と対策だと思います。和尚が申すまでもなく、既に各町内では老人宅対策が始まっているとの事ですが、ならば先ずは家族内の絆が重要で、近年言われ続けている核家族化にも問題がありそうです。和尚は父を80歳で、一昨年は母を92歳で無事に黄泉の国へ旅立たせる事が出来ました。此れも偏に妻の献身的な介護、そして病院のディサービスはたまた先生の懇切丁寧なアドバイスがあればこそ、療養介護期間を全う出来たと感謝しています。特に妻の存在感は絶大でした。毎日の病院通いの中で、母との会話が母にとって一番幸せを感じ取った時間であったようでした。父も母も、亡くなる前には合掌しながら「ありがとう、ありがとう。」と何度も何度もお辞儀をされました。今後どのご家庭でも起こりうる老人介護の問題には、やはり家族夫婦間や子供達の協力が大切であると体験から感じ取る次第です。
大変だった療養介護期間も今では遠い過去の話となっていきます。母がお世話になっていたリハビリ病院を車で通り過ぎるたびに、今もなお多くの方々が療養介護を受けられている事実に対して、介護されておられる方また介護を受けられている方々の気持ちを重く受け止めています。世界一の長寿国日本。老老介護の問題解決対策は、もはや後回しには出来ない早急な取り組みが求められているようです。友峰和尚より