和尚のちょっといい話
今日もまた終日千客万来の一日となりました。檀家様有り、業者様有り、友人有り、またまた突然訪ねて来られたりして、ずーっと椅子に座りっぱなしとなりました。こんな日もあろうかと、先般、家具屋さんを訪ねて座り心地のよい椅子を買っておきました。たまたま今日の朝方、応接間に設置しましたらその後多くのお客様と歓談することになりました。椅子さんの大活躍の一日でもありました。和尚は腰が悪いので、長時間椅子に座っていると腰を痛めるため、今後のことも考えてゆったりした椅子を購入した途端の来客ラッシュでした。何とも不思議なことですね。まるでそのことを知っていたかのようでした。今日の主役は「椅子さんです」。
「椅子さん」
楽ちん椅子のおかげで腰も痛めずに楽しくお話しすることが出来ました。椅子さんもお疲れ様でした。「イイッス、イイッス」って言ってくれたかどうかはわかりませんが、やはり加齢と共に環境も整えて行かねばならないとつくづく思ったものです。しかしながらどう考えてみても世の中は摩訶不思議な事ばかりです。もし椅子の購入が無かったらお人さまもこんなには来なかったのでしょうか? 誰か教えてくださいな。友峰和尚より
犀川ウォーキングで始まった今朝方の秋の風景です。空は間違いなく秋の色を濃くしていましたが、四季折々に見せる犀川の景色は古へのロマンを感じさせてくれます。さて皆様、その後お変わりなくお過ごしでしょうか? 臨済宗妙心寺派の全国各寺院が発信しているホームページやブログを拝見していますが、最近は青年僧が色々と寺院活用の工夫をしているのが伝わってきます。他の宗派寺院のホームページも参考までに見ますが、宗派が違うとそれぞれにアクションも多様でなかなか興味深いものがあります。中には「美坊主図鑑」なるものや「出会いサイト」そして「ボンズ、バー」など実に摩訶不思議なものまであり、皆様も時々ご覧になってみてはいかがでしょうか? ずっこけますよ!
何もかもが変化して行く時代の移り変わりの中で、当然のことながら布教の在り方にも工夫が求められています。特に禅宗は頑なに本分を踏襲することを旨とするだけに、いっそう布教活動の工夫が求められます。なんでも「無」一辺倒では通用しない現代社会です。「無一物中、無尽蔵」ですから大いに青年僧の活動に期待したいものです。卑山の副住職も妙心寺高等布教師の研修講習からようやく帰山しました。打ち出の小槌ではありませんが、大いに奮起して布教活動に専念し「福」を呼ぶ「お宝」を打ち出してもらいたいと念じています。「傀儡師 首に掛けたる人形箱 仏出そうと鬼出そうと」 友峰和尚より
秋風が強く境内を吹き抜けていきます。北海道では早くも雪が降ったとか、一足飛びに気候は冬へと向かっているようです。そういえば卑山の今年の紅葉がすでに始まっており、猛暑から一転して冬の様相を呈してきたようです。どうもこのところの気候が安定しませんね。今年の北陸地方は大雪になるとの予報が出ていたように思いますが、毎年のことなので「備えあれば憂いなし」の心境で早めの冬支度をしようと思っています。大安禅寺の境内は至る所がきれいに掃除され悠久の歴史の中で静かなたたずまいを見せています。「禅寺の風格」とでも言いましょうか、建造物も威厳さを感じさせてくれ、どっしりとした趣は一種感動的でもあります。
400年もの長い歴史の中で今日まであらゆる災害と風雪に耐えぬいてきた建物だけに、一層美しく感じさせてくれるものですね。人々もまた先祖代々受け継がれてきた「不退転、堅忍不抜」の精神が脈脈と次の世へと伝承されていきます。命の尊さをしみじみと感じる瞬間でもあります。間もなく「彼岸会」が厳修されますが、長い長い人類の歴史を耐え抜いてきた先人たちの苦労を偲ぶとともに、祖先の恩、父母の恩に深く感謝を申し上げたいと、秋風を受けながら思った一日となりました。友峰和尚より
「掃除」。こんな快適な気分を味わえる行動は他に有りません。昨日に引き続き阿吽庭と本堂前の境内掃除に集中しました。最近のイノシシ被害は庭にまで及び苔という苔が無茶苦茶にされましたが、イノシシにも食糧事情があると思いますから、そこんところはグッと堪えて庭掃除も今では苔抑えから始まる始末です。阿吽庭は砂庭を伴いますから掃除にも時間がかかり大変重労働ながら、掃除終了後の庭園風景には何とも格別な気分に浸ることが出来ます。
「掃除」実に簡単な言葉なれど、除き掃う!の行でもありますから、心も同時に作用する極めて奥の深い作業だと感じます。彼岸会を間近にしての外掃除でしたが、これでまずまずの仕上がりという事になりました。そんななか、野口美智子様よりお電話を受け、今回のニューヨークでの個展に新たにもう一名参加したいとの事。「早速お伺いします」とのことで、掃除をしながらお待ちしていました。新メンバーは野口社中の丸子信子さまで、先生のもとで約14年間文房流のお煎茶とお花をお稽古された方だそうで、先生に伴って個展参加の挨拶に来られたわけですが、本当に有り難い話です。また野口先生は和尚のブログを見ていて下さり、連日のお掃除のお話に対して、陣中お見舞いのお言葉と和尚の好物を持参くださいました。心から感謝申し上げます。
出発まであと一か月となりました。和尚も今後は健康に十分留意して、万全の態勢で個展に臨みたいと思います。さて掃除ですが、「掃除」は第一に体全体を動かすとても理想的な運動だと思います。大安禅寺のような広い広い境内を毎日掃除するのは大変ですが、綺麗に掃き清められた境内は値千金です。「掃えども風が持てくる落ち葉かな」深まりゆく秋とともに落ち葉も容赦なく舞い散る毎日です。何事も無常の中にこそ本来の安らぎを見出すものです。枯れ葉の舞い散る姿に来年の新しい若葉を想像しながらの掃除です。新陳代謝の中に初々しい命を思うのは和尚だけでしょうか。「一日作さざれば一日食らわず」とは百丈懐海禅師のお言葉です。こころから納得のお言葉ですね。今日もお掃除できたことに感謝したいと思います。友峰和尚より
「女心と秋の空」なんて言葉が有りましたが、本当にそうなんですかね?あまり当たっていないようにも思うのですが。とにかく秋の天気は変わりやすいので、良いお天気の本日、精力的にお庭の掃除と整備に集中したわけですが、「文明の力」をフルに活用しての整備となりました。
有り難いですね!実に便利ですよ。剪定機を始め草刈機、外掃除用ブロアーなど、優れもののおかげで時間を短縮して効率を上げることが出来ます。されど油断大敵!一つ間違えますと大きな事故にもつながるので、気を引き締めての作業ゆえにたいへん疲れました。三連休ならば和尚とて休息したいのは山々ですが何せ夏草の勢いは半端でなく、バラ園に至っては和尚の背丈ほどの雑草が生い茂っている始末。おまけにイノシシが園内を荒らしまくった状態で、どこから手を付けようかと「とほほ」の溜息。昔取った杵柄ももはや歳には勝てませんね。草刈機の備品を買い求めてホームセンターに出向いたら、「今日は敬老の日です!お客さん、くじを引いてください!!」との女性の声。一瞬、誰の事かと振り向いたものの、誰もおらず、エッ私の事ですか?と愕然ガクガク。仕方なくクジ引き器をぐるぐる回したら白い球がポトリ!「残念でした!」とおばさまの大きな声。「ティッシュどうぞ」だって。もう仕事する気も失せていく感じでした。そういえば今日は「敬老の日」でした。「もうけいろうかい」ってすぐに帰りましたよ。
どうですか!皆様、文明の力のおかげでお庭もすっかり綺麗になりましたよ、バラ園はイノシシ被害でバラバラでしたがね。和尚も最近は力が激減してしまいました。なんたって力が無くなったらもう人生おしまいです。そうそう御トイレにも「消臭力」っていうスプレーが置いてありました。「少年老い易く学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず」若い時は二度無い、そんな言葉を噛み締めながらの作業三昧の一日でした。友峰和尚より
いつの間にか寶勝寺墓地が草茫々となり、たまらず今日は除草剤を散布したわけですが、夏草の勢いには如何ともし難い物が有ります。もはや文明の力に頼るしかありませんが、しかし、これまた除草剤に負けじと更にしぶとい草が生えてきますから、イタチごっこの様相です。
先日、地元読売新聞の取材を受けましたが、その節お世話になった記者の鷹尾洋樹様が卑山を尋ねられ、久しく歓談しました。今後しばらくは、能登輪島の方の取材に入られるとのことで話も弾みましたが、今日は午後より福井の鯖江市で家族動物の総供養が予定されていたため、別れを惜しみつつ福井に向かいました。近年の高齢化と比例するかのように動物たちの寿命もぐんぐん延びて、飼い主の御家族とともに過ごす時間も長くなり、亡くなった時の悲しみも家族同様のものが有ります。年々供養者のご家族も増えてきました。動物が人間とともに暮らす時間は50年前に比べると倍近くになります。また、家の中で生活を共にする人口の割合も昔とは比較にならないほど増えてきているそうです。最近は独居老人宅も増加し、家族動物が果たす役割も広がりつつあります。それだけに、動物たちへの感謝の心とともにご供養も極めて敬虔なものとなります。中には10年、20年と続けてご供養に来られる方も多く見受けられます。少子化の進む日本社会、これからも家族動物たちの果たす役割が増す一方のようです。供養を終えて大安禅寺に戻りますと、タイミングよく長田製紙所の長田和也様が自作手漉きの越前和紙を持参してくださいました。お礼の言葉もありません。本当に感謝でいっぱいになります。
先日、長田様の和紙を使って試し書きをしたのですが、あまりの書き心地良さに感心したものです。素晴らしい手漉き和紙です。「弘法は筆を選ばず」とありますが、とてもとても和尚は、筆も、紙も、墨も選ばねば書けません。紙は神でもあります。貴重な紙ですので、大切に使って行きたいと強く念じました。午前中は鷹尾様、午後には長田様のご来寺、なんとも不可思議なご縁を感じた一日でした。友峰和尚より
秋晴れとなりました土曜日の今日、寳勝寺に於いて一周忌の法要が営まれました。午前中から寺カフェのお客様も来られ、爽やかな秋風の吹き込む堂内は終日賑わいを見せました。「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったもので、間もなくお彼岸会を迎えますが漸く凌ぎ易くなってきたようです。相変わらず午後からも来客の応対に追われましたが、人の集まる寺を目指しているわけですから有り難く思いますし、話題も豊富で接客が終わるころには頭の中がジンジンとしてショートしているような感覚になります。
午前中の御法事のお客様も横浜から来られた方ばかりで、故人の故郷の菩提寺での御供養でしたが「故郷は遠きにありて想うものそして悲しく歌うもの・・・・・」の金沢の生んだ詩人「室生犀星」の詩を思い浮かべました。詩の意味合いとは少々異なれども、「故郷」への思いは離れれば離れるほど恋しくなるものですね。「ほろほろと鳴く山鳥の声聞かば父かとぞ思う母かとぞ思う」故郷は母との思い出であり、父との思い出の場所でもあります。そんな故郷での法要を、今は亡き母親のみ霊はどんなにお喜びになったでしょう。和尚も久しく今は亡き母親を偲んだ土曜日の午後となりました。友峰和尚より
「何にも思わぬが仏の稽古也」とはまさしくその通りですね。何にも思わない日など一日として有りませんから、時々は静かに坐って瞑想したい気分になるものです。今日の夜は金曜坐禅会が有りますが、毎回、20名近い方が来られています。中には30年に渡って参禅されている方もおり、さぞかし気持ちの良い時間を過ごして来られたであろうと察します。座布団一枚で無限の幸せ気分に浸れるのですから、こんなに安価でしかも健康的なものは他に有りませんね。そもそも人間は「じっと」しているのが苦手なようで、いくら鐘や太鼓を打ち鳴らして宣伝してみたところで余程の願心がないと参禅して頂けないのも事実です。何か良い方法がないものかと椅子に腰かけての坐禅も考えてみましたが、どうも腰の落ち着きが悪く、どうやら坐禅だけは足を組むしか方法が有りませんね。となりますと益々、坐禅を普及させることが難しいと感じます。そんな中で、毎月2回の坐禅会に参加されるのは本当に有り難いことだと思います。世の中は、ご利益の即効性を求めますが、坐禅だけは極めて遅効性なのでこの辺も何とも悩ましい問題です。「仏道を習うとは自己を習う事なり、自己を習うとは、己を忘るる事なり」とは道元禅師様の御言葉です。深まりゆく秋、こころから己を捨てきってみたいものですね。
さて今日も墨蹟デーの一日となりました。漸く出展作品が完成しました。早速に斎藤表具の斎藤公一様に取りに来てもらいました。やれやれ!!です。落款を押しながら心はニューヨークへと旅立つ思いでした。約50点の作品を展示する予定です。夜の坐禅を通してさらに集中して参りたいと思います。友峰和尚より
今日も終日作品制作に全力投球なれど、そう簡単に良い作品が出来るものでは有りません。筆さんも、墨さんも、紙さんも、そしてスタッフさんも、自分も一つになった時に突如として良い字が生まれて来るものだと思います。嗚呼!本当に難しい世界ですね。この世に簡単なものなど一つも無いことは重々承知していますが、書けば書くほど深みにはまっていくようです。いわゆる「泥沼」です。今日は「一円相」にチャレンジしましたが、これまた丸ほど難しいものはありません。たかが丸、されど丸。別に真ん丸でなくてもいいと思うのですが、どうしても真ん丸にこだわってしまいます。
この「丸」ですが、禅寺で皆様も見かけたことがあるかと思いますが、究極の悟りの表現として、古来より沢山の禅僧が書かれています。円相の横に「奢るなよ 月の円さも ただ一夜」とか、「団子かな」とか「これなんぞ」とか「天上天下唯我独尊」とか書かれているわけですが、理屈抜きに「○」は「○」なんですが、これをゼロと言い、輪(和)とも言い、円(縁)とも言う、実に摩訶不思議な形です。無心を表わすこの円相は大変魅力的でもあります。明日こそ頑張って作品の完成にこぎつけたいと念じています。
さて朝晩が過ごしやすくなってきましたね。もう秋の虫が鳴き始め、蝉の声と鈴虫の声が交錯しています。明日は金曜坐禅会が夜6時からありますが、この時期は坐禅が一番です。皆様も一度、坐ってみませんか? 坐布団一枚の世界です。秋の季節は人々の心をどこまでもどこまでも故郷に導いてくれるようです。坐禅に来たれ!! 友峰和尚より
釈迦院時雄様が「ニューヨーク個展での墨蹟パフォーマンスに使用してください。」と、自作の大竹筆を和尚に寄贈くださってから二か月が過ぎました。その間何度も、その筆を使って試し書きをしようと思ったのですが、とうとう今日になってしまいました。もう個展開催日まで残された時間も僅かになってきた今日、ようやく筆を持つ気になって午後より一気に試し書きに臨んだ次第です。書題は「通玄峰頂、不是人間、心外無法、満目青山」と「龍吟」です。今日の作品は写真のごとくですが、皆様如何でしょうか?
明日は出品作品として完成させ、すぐに表具したいと思っています。アメリカニューヨーク州、サラ・ローレンス大学内での墨蹟パフォーマンスは三回ありますが、どのような禅語が適切か、日々思案しています。今回の墨蹟パフォーマンスに用いる紙は、長田製紙所(越前市)の長田和也氏による越前和紙で、墨の乗りがよく丈夫で、今年3月、金沢市「しいのき迎賓館」での個展開催の折にも使わせていただきました。多くの方々の支援を受けての個展開催故、和尚も力が入りますね。竹筆を使うのも初めての経験です。
釈迦院様が他にもいろいろな自作の竹筆を提供して下さっていますので、今後も試し書きにチャレンジしてみたいと思っています。和尚にとってこの一週間が勝負の週と感じています。人生を歩む中でプレッシャーの無い日々などあり得ませんから、「一所懸命」に壁を打ち破るのみです。「今という今こそ今が大事なり、大事の今が生涯の今」ってどなたかの言葉です。本当におっしゃる通りです。「今やらねばいつ出来る、俺がやらねば誰がやる!」でしょうか。誰に頼まれたわけじゃあ~りませんが、一度限りの人生ならば常にギリギリ頑張って行きたいと思っていますよ。書に挑んでいると「字」のほうから「こう書いてくれ!」って叫びのようなものが聞こえてくるようです。何もかもがあるがままです。「気力、体力、決断力」これを三力(魅力)と言いますから、健康も大切ですね。さて、頑張ってやりましょう!友峰和尚より