和尚のちょっといい話
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昨日とは一変してからりと晴れ渡り、気温もぐんぐん上がって30度を超える真夏日となりました。今日は寳勝寺の盂蘭盆会施餓鬼法要が10時半より厳修され、法要終了後には間もなく工事が開始される予定の「ふれあいパーク霊苑改葬工事」の今後の計画内容が関係者から発表されました。今回の工事には㈱ココ・プランニング様始め、地元の㈱豊蔵組様と㈱河原市石材様にお世話になることとなりました。また卑山檀信徒方々の「顕彰碑檀信徒墓地」説明も合わせて行いましたが、三年間に渡った墓地改葬計画もお盆の霊供養をもって最終許可が下り次第、愈々始まろうとしています。ここに来て金沢三か寺の兼務住職としての意義が掴めて来たように思いました。
盂蘭盆会施餓鬼法要のようす
寺町・桂岩寺様がご加担下さいました
㈱ココ・プランニング 中本大資社長様よりご挨拶 / 檀信徒会議 墓地改葬説明会にて
㈱ココ・プランニングデザイナー 宮崎邦英様からのご説明
㈱豊蔵組 豊蔵享一社長様よりご挨拶
檀信徒様へ、区画等に関するご説明
会議後、昼食を頂きながら個別の御相談会
法要終了後も檀信徒皆様方とゆっくり歓談し、より一層ご法縁を深めて行くような気がしました。本当に有り難いことです。明日からは自坊の盂蘭盆会大施餓鬼会法要に集中して参りたいと思います。供養三昧の日々が続きますが、皆様方も何卒ご先祖御供養を懇ろに修業して頂きたく念じて止みません。8月15日には大安禅寺で盂蘭盆会大施餓鬼会法要が営まれますが、自由にお参りできますので是非皆様ご来寺ください。間もなく子供達は夏休みが始まりますが、大いにお寺の行事に参加いただきたいものです。友峰和尚より
少林寺盂蘭盆会施餓鬼法要
終日雨模様となりましたが、そのおかげで気温も27度と過ごし易い一日となりました。今日は野町・少林寺で盂蘭盆会施餓鬼法要が午前10時半より厳修されましたが、いつもの年よりも多くの檀信徒の皆様が出席されました。今回で三回目の法要でしたが、時折涼しい風が堂内を通り抜けていく清々しい盂蘭盆会施餓鬼法要となったものです。
今日の法要には寺町一丁目の桂岩寺様が御加担下さり、素晴らしいお声で維納(お経を唱える人)をされました。昨日の瑞光寺に引き続いてのお盆のお施餓鬼でしたが、明日は寳勝寺での法要となります。
少林寺檀信徒総代 宮崎寒雉様よりご挨拶
法話のようす
最近では檀信徒皆様との交流も次第に多くなり、法要後も親しく歓談させて頂きました。お寺の住職の役割には色々あると思いますが、先ずはお檀家様との懇親が一番大切な事かと思います。先祖の御供養とお話しを通して御先祖の生前のお姿をも思い浮かべることが出来ます。少林寺は現在、先住職の奥様が87歳のご高齢ながら寺院を守っておられます。本日は手作りの霊供膳も真前に供えられ、またお掃除も徹底しておられ、本当に頭の下がる思いでいっぱいになります。
先代住職の御供養も合わせて修業されましたが、奥様にはいつまでもお元気でお過ごしいただけることを念じた盂蘭盆会施餓鬼法要となりました。さて皆様はいかがお過ごしでしょうか? 気候不順の折、どうかくれぐれも御身ご自愛ください。友峰和尚より
瑞光寺 盂蘭盆会 / 金沢市本多町・瑞光寺の御堂にて
御釈迦様の根本の教えは「縁起の法」です。言い換えれば「有るがままの実相の法」ともいえます。この月はお盆月。「盂蘭盆会(うらぼんえ)」の語源となったのはインドの古い言葉・梵語(サンスクリット語)の「ウランバーナ」で、そのまま音写されて盂蘭盆になったと言われています。その意味は「倒懸(とうけん)」、逆さまに吊り下げられた苦しみだそうですが、詳しくは「盂蘭盆会」で検索してください。
今日は本多町・瑞光寺で10時より盂蘭盆会施餓鬼法要を厳修しましたが、和尚が兼務して今回で三度目の法要となりました。瑞光寺開基・伊藤家の先祖墳墓もこの度立派に新調され、昨年他界された御母堂様の新盆の御供養も修業されました。何もかもが縁起によるお導きです。和尚が兼務する三つの寺院が少しずつ息を吹き返し始めているようです。
御墓参りのようす
瑞光寺庫裡にて 和合の茶礼
少林寺盂蘭盆会の準備 / 野町・少林寺にて
午前中の法要を終え、午後には少林寺の準備に入りましたが、どうか皆様に於かれましても御先祖の霊供養を通して「縁起の法」を実感して頂きたいと思います。「供養するが故に安心有り」です。日々報道されている事件事故や争いのニュースから解放される唯一の時間でも有ります。人々にとって「安心」ほど大切な心は有りませんが、それとて実践なくして得られるものでは有りません。まずは御先祖供養から行動を開始しましょう。一に掃除二に笑顔三四元気におかげさま! 明日は10時半より、少林寺で盂蘭盆会施餓鬼法要が厳修されます。お檀家様には是非お参りください。友峰和尚より
昨年度、瑞光寺盂蘭盆会のようす
明日からの三日間は金沢兼務寺院での盂蘭盆会施餓鬼法要が営まれます。明日は本多町の瑞光寺、明後日が野町・少林寺そして日曜日が寺町・寳勝寺となっています。今日はその法要準備の為の買い出しに行きましたが、慣れない買い物にすっかり疲れてしまいました。ブログをご覧頂いている女性の方から「疲れた、歳を取ったなどの言葉は和尚さんに似合いませんよ!」って冗談交じりに言われましたが、しみじみと毎日買い物に出かける主婦の皆様のご苦労を身に染みて感じます。色々経験をしてみて初めてわかる世界が有ると言うものです。
昨年度、少林寺盂蘭盆会のようす
昨年度、寳勝寺盂蘭盆会のようす
さて、総じてブログなどは面白い話が良いに決まっていますが、そんなに毎日面白い事があるわけでも有りません。しかしながら面白い事が無くても、ためになる新たな経験が未だに続いています。一昨日に「寶勝寺ふれあいパーク霊苑改葬工事」の最終合意が関係会社となされ、その意味合いからも今年の「盂蘭盆会施餓鬼法要」ほど大切なお盆行事は無いと思っています。和尚の年齢からしても、今回の大事業は和尚の最後の仕事となるかと思います。人生最後の住み家であるお墓の未来志向を見据えた「極楽浄土」を創造させる霊苑でも有ります。人間には生涯を通じて必ず成すべき仕事が有るかと思いますが、お盆のお施餓鬼を前にして祖先の御霊に対し報恩の真を捧げたいと思います。檀信徒の皆様には是非お参り頂きたく心よりお待ち申し上げております。友峰和尚より
寳勝寺の「日中友好の朝顔」が今、元気に育っています。この朝顔の種は、広島県福山市にお住まいの中川美術館館長・中川健造様より譲り受けたもので、毎年見事な花を咲かせています。
昨年8月のようす
写真の如く、大きな花びらに白の縁取りと透き通るような赤紫色が特徴です。山門より本堂に至る塀に毎年多くの花をつけて寺カフェ利用のお客様の眼を和ませてくれています。今年もお盆過ぎには、朝顔愛好者の皆様が集まって「日中友好の朝顔を愛でる会」が開かれる予定となっています。朝顔の品種には色々ありますがこの朝顔は格別で、最初に見た時の感動をいまだに忘れることが出来ません。花びらの大きさもそうですが、色合いの美しさには惚れ惚れとしてしまうほどです。
苗も育成中です
これまで多くの方々に種を分けてきましたが、その輪も広がりを見せています。世界の国々が争いの無い友好国となっていく事を願うばかりです。朝顔と言えば、福井が生んだ幕末の歌人・橘曙覧(たちばなのあけみ)が詠んだ 「楽しみは 朝起き出でて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見る時」が有名ですが、この歌の如く本当に朝一番に愛でる朝顔ほど清楚で美しいものは有りません。卑山の朝顔はようやく蕾が出てきたところですが、まもなく大輪の花びらを開く事と思います。皆様、寺カフェと共に「日中友好の朝顔」の威厳のある高貴な咲姿を是非ご覧頂きたいと今から楽しみにしています。友峰和尚より
寳勝寺の七夕飾り / 式台玄関にて
10日の10時半より厳修される「寳勝寺盂蘭盆会施餓鬼法要」を前に、本日は「寳勝寺ふれあいパーク霊苑改葬工事」の最終会議が施工業者様を交えて行われました。盂蘭盆会終了後に檀信徒皆様に経過をご報告する予定となっています。今後は本山妙心寺へ許可申請を届け出、了承を得てのち、本格的に工事が始まることになっています。約3ヶ年に渡った卑山霊苑改葬の会議でしたが、関係者皆様には心から感謝御礼申し上げたいと思います。来年夏に完成予定の「ふれあいパーク霊苑」は、急速に進んでいる「墓じまい」や「寺離れ」の現象に心を痛め、これからの、そして未来の祖先墓地供養の姿と重ね合わせての改葬計画でも有ります。父母の恩、先祖の恩を想う気持ちを大切にして頂けるような理想的な墓地が求められています。家族みんなで気軽に訪れ、祖先の霊と語り合う事の出来るような墓地を念じています。人生最後の家でも有る「先祖墳墓」、皆様は今どのように捉えておられるでしょうか? 時代の変遷と共に人々の価値観も変化していきますが、祖先を奉じる心だけはいつの時代でも変わらぬものであってほしいと願ってやみません。
さて明後日は七夕です。卑山の玄関前に登場した七夕飾りには、願い事や先祖の御霊へのメッセージなどがたくさんの短冊に書かれています。7日の夕には御祈願祈祷会を行いたいと思っています。友峰和尚より
霊苑改葬工事 関係者皆様との記念撮影をしました
この10日の参議院議員選挙投票日を前に、今日は妻と共に期日前投票に行きました。「男は読経、女は愛嬌、坊主はお経、議員は選挙!」って懐かしいフレーズですが、国の行く末を決める大事な一票です。選挙カーのボリュームをいっぱいに挙げての候補者お願いコールの音が、このところの暑さに拍車を加えるかのようです。みんな一所懸命に働いています。いい汗を流しています。寺に戻れば卑山御用達の小森庭園主・末政さんが花菖蒲園の苗の植え替えに汗を流しておられました。本当に有り難い事です。お祭りが終了しても次の仕事が待っています。人生に終わりなど無いようです。
さて和尚は残務整理に精を出しましたが、今月はお盆月でも有るので早めの整理が求められています。この時期は雨模様が多いためお部屋の中もじっとりとしてカビ臭く感じるので、お天気の良い日には虫干しが必定のようです。暫らく和尚が留守にしていると蜘蛛さんも一所懸命に働いて部屋じゅう蜘蛛の巣だらけになっています。こちらもまた日々汗を流しているようです。じっと観察してみると面白いですね。なんだかゆったり過ごせた一日となったようです。自然の天候の変化が人々の生活のリズムと深い関係を持っていることを味わった感じがしたものでした。友峰和尚より
アメリカ・ニューヨーク州より長年の友人であるグリフィス教授が来ていますが、大学生徒のエイブさんがしばらく大安禅寺に滞在する為、和尚の友人皆様にお願いして明日からの行動日程を立てるために午前中、卑山に集まってもらいました。英語での会話が飛び交う打ち合わせとなりましたが、なかなか面白い風景となったものです。エイブさんにとっては初めての来日で色々な事に興味を持っているようで、明日からの行動を楽しみにしているようでした。午後からは、現在、寳勝寺霊苑改葬工事でお世話になっている㈱ココ・プランニング会長の中本隆久様と、社長の中本大資様が来山され、今後の打ち合わせがなされました。
寳勝寺霊苑改葬工事会議のようす / 大安禅寺 応接室にて
つい先日、会長の御母堂様が93歳で逝去され、懇談終了後には本堂にて初七日忌の法要を営みました。仏縁とは不思議なものです。今日はどういうわけか次々に和尚の縁者が集まって来られ、終日、応接間が賑わっていました。お寺に来られる用事は人それぞれに様々ですが、お互いに何某かの仏縁に結ばれている事には違いないようです。いつも言いますが、世の中に偶然という事象は無く、必然的にご縁が結ばれていくのだと思います。
昔から「似た者同士」という言葉が有りますが、向上心を持ってのご縁を広げて行きたいものですね。多くの方々との出会いも「一期一会」です。現在も過去も未来も一体のものですから、その時その時を大切にしながら日々を過ごして参りたいと思います。友峰和尚より
最早ブログで日々の気温を伝える必要もなくなったようで、今後も30度を超える真夏日が連日続くという予報です。6月恒例のお祭りがようやく終わったと思っていたら、今日はチャリティー和太鼓コンサートが卑山・枯木堂を会場に開催されました。地元の太鼓奏者はじめ県内外各地から参加され、再び賑わいを見せた一日となりました。詳しくは大安禅寺ホームページをご覧ください。
「絆 和太鼓 live in 大安禅寺」 復興祈願会・熊本大震災物故者追善法要
和太鼓ライブの様子 大安禅寺 枯木堂にて
夕刻には、和尚の長年の友人でも有り、先年、ニューヨーク州サラ・ローレンス大学を会場に「墨蹟禅画展」を開催した時、大変お世話になったグリフィス教授と生徒さんが来られました。学生のエイブさんは暫らく滞在されるという事で、家族が一人増えた感が有ります。この月はお盆月ですから和尚も何かと忙しいわけですが、お盆の行事も含め日本の伝統的文化にも触れてもらうべく、色々計画しています。日本の伝統的文化がどれほど素晴らしいものかは、国外に行くとよくわかります。勿論、国それぞれに優れた文化は無尽蔵にありますが、我が国の古来より引き継がれて来た文化や風習の中には仏教の精神が深く根付いているように思います。短い滞在時間なれど、少しでも学生さんに感動を与えることが出来れば幸いかと思っています。最近は民泊も流行の兆しを見せています。その事もより日本の文化に接してみたいという希望の表れだと思います。どうやら7月もまた多忙の日々となりそうな気配を見せた和尚の一日でした。友峰和尚より
寺町・西方寺様が来山くださいました。
今日から7月!昔の暦で文月(ふみづき)に入った途端に気温が午前中から33度まで上がり真夏日となりました。愈々夏本番を迎えたようです。9時半にお檀家様の月参りに出掛けましたが、汗が容赦なく背中を滴り落ちて夏本番を肌身で感じ取ったものでした。読経の声が家じゅうに響き渡る時にはお盆の季節到来をも同時に感じたものでした。供養の専門家が言うのもなんですが、月参りほど敬虔な気持ちを感じさせてくれるものは有りません。お檀家様のお仏壇の前に座りますと、言葉では言い表せないような安らぎを覚えるものです。ましてこの時期はお盆月でも有るので尚更の事、普段のお参りとは格別な心境を味わうわけです。これからは墓前での諷経も始まりますが、故人との霊交流でも有るので心を込めて精進して参りたいと思います。
皆様もどうかこの月はお仏壇を掃除して故人の好物やお花などをしっかりお供え頂き、菩提寺の和尚様に御先祖供養をお願い頂きたいと念じて止みません。「無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず 無念の念を念として うたうも舞うも法の声」ですね。これを読み取るのは難しいですか? 目に見えないものを見、耳に聞こえない音を聞く事の大切さです。心の世界は無念無想にて初めて仏法に触れることが出来ます。仏法とは限りない心の安らぎである事は言うまでも有りません。御先祖のお参りを通して大いに心の安らぎを味わいたいものですね。友峰和尚より