寶勝寺日誌
10月も下旬となり晴れの日が貴重な季節となってまいりました。春から晩秋にかけては常に数種のお花が咲いている宝勝寺の庭ですが、冬は鉢植えの花が本当に貴重で、少量でも咲き続けるよう力を入れて準備しています。
また先日には、宝勝寺檀信徒の北條淳子様が「ミニ水仙テータテート」と「すずらん水仙スノーフレーク」の球根をお届け下さり、さっそく育て方の説明書を読みながら植えさせて頂きました。「10月に植えると、2月頃から芽が出ます」と書かれていました。楽しみに、毎日のように覗き込んでおります。北條様には貴重な球根を誠にありがとうございました。大切に育てていきたいと思っております。
水仙テータテート と スノーフレーク
現在、開花を楽しみにしている境内の野路菊です
裏庭にて あけびの木塀に沿って小菊が生長中です
南天 と 乙女椿のつぼみ です
宝勝寺 境内のスイフヨウ
10月を迎え、秋の花が見ごろを迎えています。先日からもお伝えしていますとおり、今年は霊苑側境内の酔芙蓉がとても大きく成長し、大満開となっております。この酔芙蓉ですが、2014年(今から5年前)の夏、住職の奥様が金沢市内の種苗店で小さな苗を買い求められ、山門前のお庭に植えられたのが始まりでした。
宝勝寺に来た頃の酔芙蓉 30センチほどの小さな植物でした
2019年 8月頃
その後、山門前庭ガス管工事や、霊苑改葬中の鉢植え期間を経て、現在の位置に植樹されることとなりましたが、日当たりの良さなどが功を奏したのかぐんぐんと大きくなり、今年は本当に驚くほど大きく成長いたしました。
午後3時頃 花色がピンクに変化しています
白から桃へうっすらと変化する様子は、一日じゅう見ていても飽きることがありません。残暑厳しい今年は特に、夏のような秋のような、独特の風情を感じています。
2本の樹のうち、奥にあるほうは遅咲き?のためか、例年遅れて咲き始めます。花姿も異なり、八重の花が咲きます。まだまだ見ごろが続いておりますので、お近くへお越しの方はぜひいちど、境内の酔芙蓉をご観賞ください。
遅咲きのほうに一輪、大きな花が咲いていました
【令和元年度 寳勝寺盂蘭盆会 住職法話より】
今年も無事、盂蘭盆会(うらぼんえ)を円成出来たことに安堵致しております。年に一度の盂蘭盆(うらぼん)施餓鬼会(せがきえ)ですから、臨済宗妙心寺派の法式(ほっしき)梵唄(ぼんばい)に則(のっと)って今後もきちんと執り行っていきたいと思っております。…人間の天寿は約120年と言われますが、我々の寿命は宇宙の存在から比べると点にも粒にも満たない短いものです。せっかくこの世に尊い命を頂いたのに、日々喜怒哀楽の感情の中に翻弄され、虚(むな)しく一生を過ごす事にならないように、どのように生きていくべきかを考えねばなりません。
…お寺での法要の意義は何かと問われれば、それは「気づくこと」「目を醒(さ)ませ!」ということだと思います。盂蘭盆会は“ウランバーナ”というサンスクリット語の音写で、それを訳すると「逆さま=倒懸(とうけん)」となります。これは本来どういう意味かと言いますと、我々はいつも“逆さま”にモノを見ていると解釈されています。誰しも、何か出来事が起きると最初は悪いほうへ悪いほうへと思いを巡らせますが、出来事が良いか悪いかではなく「今」が大切で、究極いま何を成すべきかが大切だと思います。
…我々は素晴らしい五感を有していますが、その眼・耳・口などの機能を正しく使っていくことの大切さです。例えば他人の悪い所に目が行き、嫌な話ばかりが聞こえ、他人の悪口ばかり言っているのでは、良い使い方とは言えません。その「今」の自分の心をすべて捨て切るところが、本来の真心だと思うのです。 「今という 今こそ今が大事なり 大事の今が生涯の今」という言葉が有りますように、今が大切であるからこそ、今の心をしっかり見つめていくことの大切でもあります。 …(中略)… 法要に参列する意味とは、普段の日常生活から離れ、お寺でしか聞けない佛(ほとけ)の話を聞いて頂き、自らの心に「気づく」ことの巡り合わせなのだと思います。
さてそこで我々の命(いのち)には3つの「命の縁」があると思います。それは、「宿命」「運命」そして「天命」です。宿命というのは、自分ではどうすることも出来ない、生まれながらに宿している命です。そして運命とは、宿命と共に人との巡り合わせによって進化していく命です。次に天命とは、目には見えないけれども、「天」から課せられた使命のことです。宝勝寺が皆様との仏縁によって今日復興できたことも、すべては宿命、運命そして天命のおかげなのです。何事も仏縁に委ね、「人事を尽すことで天命から得る御利益」によって今の宝勝寺の復興が有るのだと思います。
皆様お一人お一人に、天から与えられた使命が必ずあるはずですから、それを他の誰でもない自分の心の中に問いかけ、人事を尽くしていくことこそが仏心の働きだと思います。目に見える世界はもちろん、目に見えない心の世界にも思いを馳せ、ご先祖様のご供養を通し、他人の喜ぶ事また幸せを願う事こそが、自己の安心(あんじん)に繋がって行くのだと思うものです。(令和元年7月7日 盂蘭盆会住職法話より 事務局が編集しました)
猛暑続きの今夏ですが、寺カフェスタッフはおかげさまで連日元気にお務めに励んでおります。 「日中友好の朝顔」も元気に育ち大輪のお花を咲かせていますが、6月下旬に植えた苗の蔓はこれからつぼみが膨らもうという段階で、まだまだこれからが本番です!
炎天下でも涼しく咲く アメリカンブルー の花が咲き始めました
夏休みということで沢山のご家族連れが来寺されていますが、子供さんの中には熱中症気味でぐったりとした姿もしばしば見受けられます…。ひんやりとしたお堂の畳の上でしばし横になり、すっかり回復して笑顔が戻ってくると本当に安堵です。また今日は、とてもうれしいことがありました。
2年前の夏から育てている碗蓮です。宝勝寺ふれあいパーク霊苑開苑を記念して購入したものですが、2年ぶりの花芽が出て来ました! 水鉢を替えたり肥料をやってみたりしながらも半分あきらめていましたが、夏の忙しさを応援してくれるかのように突然、凛とした蓮が立っていました。本当にうれしく思わず声を出して喜んでしまいました。
どのような花が咲くのか、あまりに小さく心配になりますが、無事お花が開きましたらまた数日後に、ご報告させて頂きます。尚、8月の寺カフェはほぼ休まずオープンしておりますので、お近くへお越しの折には是非お立ち寄り下さいませ。心よりお待ち申し上げております。
清々しい初夏の季節となりました。日頃より御法縁を賜り厚く御礼申し上げます。本年も霊苑合同慰霊祭を下記の通り執り行いますので、皆様には是非ご参列賜りますよう心よりお待ち申し上げております。合掌
皆様の御来苑を心よりお待ち申し上げております 太白山 寳勝寺
【令和元年度 寳勝寺・盂蘭盆会のご案内 】
本年の盂蘭盆会法要は、7月7日 午前十時半より厳修致します。寳勝寺檀信徒の皆様には丁重なるご返信を賜り、厚く御礼申し上げます。(返信の締切は7月1日 月曜日です) 本年もご家族皆様での御来寺を心よりお待ち申し上げております。
2019年6月8日より開幕しました大安禅寺「花菖蒲祭」、その直前となる6月6日木曜日、大安禅寺を参拝致しました。 今年もバラ園にて多種多彩な美しいバラ、クレマチスや季節の花々を観賞しながらゆったりとしたひとときを過ごさせて頂きました。
花々や葉がそよそよと揺れる様子、ウグイスやホトトギス・三光鳥の声響き渡るなかでのバラ園の様子をお伝えしたく、今年は動画をアップさせて頂きました。たどたしい撮影で見づらい箇所もあるかと存じますが、大安禅寺のバラ園にしかない、厳かで清らかな空気感をお届けできればと思っております。
バラ園の入り口にある睡蓮の鉢。山水の音色はここから聞こえています・・・
園内には 微妙絶妙な色彩のバラ達がたくさん咲いています
蕾から落花まで いきいきとした姿
釣鐘のクレマチス
お庭を引き立てる オブジェや水鉢に出会う楽しみ
まるまるとした つぼみが沢山ついています
大自然の中で 自然のかたちそのままに
流れるようなクレマチス と 紫のバラ
大安禅寺の花菖蒲祭は6月8日(土)から始まっています! 菖蒲園もバラ園も、見頃が続いておりますので、皆様もぜひご参拝下さいませ!
【平成31年度 寳勝寺春季彼岸会 住職法話】
・・・宝勝寺に住持して約8年になりますが、春のお彼岸とお盆の年中行事も定着して参りました。現代は多くが核家族になり、若者も故郷を離れて都会で生活するようになりますとおのずと寺に来る機会も無くなっていきます。このような時代ではありますが、幸いなことに宝勝寺では再び檀信徒様とのご縁が深まり、御先祖供養がなされ、法が守られていくことを誠にありがたく思っております。
・・・本日の法要「追善(ついぜん)の一偈(いちげ)」は、”一樹春風両般(いちじゅしゅんぷうりょうはん)有(あ)り、南枝(なんし)は暖(だん)に向かい北枝(ほくし)は寒(かん)”という、江戸時代の高僧・白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師の「槐安国語(かいあんこくご)」に出てくる禅語です。人生はそれぞれに色々な因縁が有り、南向きに生まれたいと思っても北向きに生まれる者も有り、陽の当たらない場所に生まれる者もあります。しかしその場所で辛抱して努力を続け、じっと真理を追究していくとやがて必ず「ひとつの樹」が見えてくる、それが「悟り」です。 ・・・我々は皆、百点満点で生まれている。みんな完璧だけれども、寒い所に生まれてくると縮(ちぢ)こまってしまいます。生まれて以後、自分で思い込んで萎縮(いしゅく)しているようなものを開放していかねばなりません。
・・・『無門関(むもんかん)』という禅の書にこんな話があります。“瑞巌(ずいがん)の彦和尚(げんおしょう)、毎日自ら「主人公。」と喚(よ)び、復(ま)た自ら応諾す。 即ち云(いわ)く、「惺惺著(せいせいじゃく)、喏(だく)。」” 今から千二百年前、中国浙江省(せっこうしょう)の彦和尚(げんおしょう)が毎朝、坐禅をしながら「主人公!」と叫び、「惺惺著(せいせいじゃく)、喏(だく)。」と自分で応諾したという逸話です。 「惺惺著(せいせいじゃく)」とは「騙(だま)されるな、目を覚ませ!」という意味です。人生の主人公は自分なのに、外の世界に求め、とらわれ、喜怒哀楽に振り回されている。その喜怒哀楽も自分自身が作っているわけでして、「騙されるな、目を覚ませ!」とは即ち 「自分の煩悩を使いこなせ!けっして振り回されるな!」ということです。
・・・人間は非常に危ういもので、常に揺らいでいます。だからこそ油断せず、確認をせねばなりません。目はしっかり見、耳はしっかり聞いているか? 相手ときちんと対峙しているか? と自分に問いかけ、モヤモヤした心があれば払拭してパッと切り替える、それが「惺惺著(せいせいじゃく)。」です。 坐禅も読経も、自分に騙されないように心を整えているわけであります。
・・・「彼岸」とは「中道(ちゅうどう)」、すべてが一体となった何もない世界です。 相手になりきって、自分を捨て切ったらもう自由自在です。 好事(こうじ)も無きに如(しか)ず、 良い事も悪い事も、自分も他人もない、「無事」こそが本当の心の安らぎというものですね。
平成31年3月17日 寳勝寺春季彼岸会 住職法話より (事務局編集)
白梅が咲き始めました
穏やかな立春を迎えました。昨夜から明朝にかけては「春一番」の大嵐となり、境内が心配されましたが、大きな被害も無く安堵しているところです。昨年より10日も早い春一番ということで、裏庭の小さな梅の木のようすを見に行ったところやはり一番花が開花していました。毎年待ちに待っている八重の白梅です。
つぼみ も 次々 ふくらみはじめています
ふと眼を降ろすと、足元にはリュウキンカが咲き始めていました。以前は境内のあちこちに生えていた立金花、移植された木の根元にくっついて再び広がっています。不思議なことに年々愛着が湧いてくる植物で、また二月に咲くというのが本当に貴重です。
ユキヤナギの枝 が 芽吹き始めました
ふれあいパーク霊苑の植物たちも、立春を迎えた途端に春の風情です。敷地内に植えられているユキヤナギの枝からは、次々と小さな芽吹きが始まっています。活き活きとした枝ぶりと、若々しい薄緑色で、まるで花が咲いているかのように思います。花の季節が待ち遠しいです!
小さな花のようにも見える 雪柳の芽吹きです
1月も15日を過ぎ寒さ厳しい毎日ではありますが、近年には珍しいほどの暖冬のようにも感じています。境内を吹き抜ける風はなぜか朝から温かく、小森庭園(福井県坂井市)の末政様からご寄進頂いた門松の梅も、すでにつぼみが膨らみ始めています。寺カフェの作業で寺内を往復しているとだんだん身体が暖まり、セーターを脱いでみたり、着てみたり、用意したホッカイロも一つも使わないまま冬が過ぎていきます。
室内に飾っていた梅枝には、小さなお花が咲きました
昨年とはまったく違う気候に、草花も少々戸惑っているように思います。秋の花が咲き続け、前の葉が落ちないまま新芽が伸びてきた紫陽花など、あまり見たことのない光景です。
オダマキの新しい葉
ですが、まだ立春も過ぎておらず上空は冷え切っているのかもしれません。叩きつけるように大きなアラレが降り、さらに大きな塊となって屋根からバタバタと落ちてくると恐ろしいほどです。普段の生活にとって暖冬のほうが都合が良いのですが、周囲の音も消えるほどシンシンと降る雪が一度も見られないのは残念な気持ちであります。