6月, 2014年
第302話
新しい開花です。
6月に入り連日、初夏の新しい花が開花しています。 今日は、昨年奥様が植えられた桔梗の苗が大きく成長し、第一輪を咲かせました。
中庭では今、桃色と白色の撫子とともに、花菖蒲も咲き始めました。 こちらは、昨年、住職が大安禅寺花菖蒲園の苗を直植えされたものです。
ただ今、大安禅寺の花菖蒲園が見頃を迎えているとのことで、はるばる寳勝寺へ届けられた株も大きく育って開花目前です。
本堂の前にひっそりと咲き始めた ”糸葉ハルシャギク” です。
あちこちに咲くカタバミ。
先日、ご先祖の系譜をたどって寳勝寺へ来られた方の御家の家紋が”カタバミ”だというお話しをされていたところでした。
花後の緑もたいへん美しく、庭というより、寺を守る小さな森が造られているようです。フトイ、シダ、どくだみ、草藤、京かのこ、アスチルべが茂っています。
第20回「寺町寺院群を巡る会」が開催されました!
連日の大雨が一転して、快晴の土曜日となりました本日。 寳勝寺では午後3時より、「第20回・寺町寺院群を巡る会」が開催されました。
主催されているのは、”寺町台まちづくり協議会”で、寳勝寺も会員として参画しています。今日は、地域の約70名の皆様が参加され、午後1時半からお向かいの本長寺様を拝観されたのち、寳勝寺へ御来山下さいました。
会では始めに、住職が、寳勝寺の歴史説明と法話をされました。
上の写真では、御内陣の前にて、本尊・聖十一面観世音菩薩坐像について説明されています。
寳勝寺開山・千岳宗仭禅師の頂相(肖像画)について説明される住職
お話が歴史説明から法話になると、堂内には笑顔・笑顔。
住職は、現在金沢市の助成を頂きながら寺を修復していることや、寺カフェなどの活動を通して、今後いっそう地域と交流していきたいとお話されていました。
住職のお話しの後、金沢市役所・歴史建造物整備課の新保さまより、寳勝寺の建造物のことや、修復の経緯についてのご説明がありました。
自由拝観時間のようす
寺カフェを見学される皆様。カフェは一時閉店中です・・・
立ち止まり、茶室の墨蹟を鑑賞される参加者の男性
地元新聞社の取材中、参加者の皆様と親しく歓談される住職。
「法話、楽しかったです!」「やっぱり笑顔が一番ですね。」
と、お声をかけてくださる皆様です!
寺内拝観の後には、境内にて昨年修復された外壁や基礎についての説明が行われました。
静かに説明を聞かれる皆様。
地元の歴史や文化財を愛する熱意が、とてもありがたく感じられた会合でした。
参加者の皆様には、誠におつかれさまでございました。
ホームページが新しくなりました!
3日間ブログをお休みしているうちに、
寳勝寺中庭のくちなしが開花しました。やさしい芳香が漂っています。
【ご挨拶】
いつも寳勝寺のホームページをご覧いただき、厚く御礼申し上げます。
このたび「友峰和尚のちょっといい話」が第300話となりましたことを機に、ホームページをリニューアルさせて頂きました。
これからも住職ブログを中心に、寳勝寺での出来事や新着情報・お庭や寺カフェの様子をご紹介させて頂きたいと思っております。
歴史や宝物、住職の墨蹟・禅アートのコーナーも随時追加更新させて頂きますので、是非ご覧になって下さい。
今後とも引き続き御愛読賜りますよう、何卒宜しくお願い申し上げます。
(寳勝寺事務局・山口)
第301話
新しいホームページで、新たなる出発です!
瓢箪木の実 / 寳勝寺の中庭
「何にも思わぬは仏の稽古なり。」
こんなシンプルな回答が、悟りの当体です。
振り返ってみるに、何にも思わぬ日など一日として有りません。日々考え、思い、悩む毎日です。誰しもが自分の今置かれている心情を他人に解って欲しい、理解して欲しいと願うものなのですが、残念ながらそれは成し得ない事であって、たとえ相手が解ってくれたと承知したにしても、それは頭の中での想像でしかありません。そもそも、どんなに辛く苦労の人生であっても、その心の本体など何処にも証明出来る実体が無いからですね。要するに、元々「心の本体」など何処にも存在しないのですから、当事者のみが知る世界なのです。仏教がいつしか哲学的宗教性を帯びて、大衆からは遠く離れたものになってしまっている現状が有ります。仏教の根幹は「”無心”に徹底して日々の生活を過ごして行く事が安心の道である」という事につきます。あまりにも簡潔明瞭故にかえって分かりにくいのかもしれませんね。須く実地体験を要する世界が、心の世界だからですね。相手の悩み苦しみを解ってあげたところで、それは同情でしかありません。なにもかもが「自分で解決するしか無い」とわかることが悟りでも有りますから、 本当に、心ほどややこしいものは他に有りませんね。
「ありと見て 無きこそ元の姿なれ とは言うものの 濡るる袖かな」です。
どくだみの花 / 庫裏の石垣にて
和尚も、現在本山に関する役職の中に有って、つくづく組織社会の矛盾を思い知らされます。一人で居ればなんでも無いことも、其れが人間社会の組織となりますと、実に悲喜こもごもとなって行きます。隠遁したり出家したりする事が現実的でない一般人にあっては尚更の事だと痛感するものです。
いつの時代に有っても究極、自分が自分きりになって歩んで行く事が一番確実な道のようです。 友峰和尚より
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