和尚のちょっといい話

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友峰和尚のちょっといい話 【 第301話 】
2014年 06月 14日 談

新しいホームページで、新たなる出発です!

 

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瓢箪木の実 / 寳勝寺の中庭

 

「何にも思わぬは仏の稽古なり。」

 

こんなシンプルな回答が、悟りの当体です。

振り返ってみるに、何にも思わぬ日など一日として有りません。日々考え、思い、悩む毎日です。誰しもが自分の今置かれている心情を他人に解って欲しい、理解して欲しいと願うものなのですが、残念ながらそれは成し得ない事であって、たとえ相手が解ってくれたと承知したにしても、それは頭の中での想像でしかありません。そもそも、どんなに辛く苦労の人生であっても、その心の本体など何処にも証明出来る実体が無いからですね。要するに、元々「心の本体」など何処にも存在しないのですから、当事者のみが知る世界なのです。仏教がいつしか哲学的宗教性を帯びて、大衆からは遠く離れたものになってしまっている現状が有ります。仏教の根幹は「”無心”に徹底して日々の生活を過ごして行く事が安心の道である」という事につきます。あまりにも簡潔明瞭故にかえって分かりにくいのかもしれませんね。須く実地体験を要する世界が、心の世界だからですね。相手の悩み苦しみを解ってあげたところで、それは同情でしかありません。なにもかもが「自分で解決するしか無い」とわかることが悟りでも有りますから、 本当に、心ほどややこしいものは他に有りませんね。

「ありと見て 無きこそ元の姿なれ とは言うものの 濡るる袖かな」です。

 

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どくだみの花 / 庫裏の石垣にて

 

和尚も、現在本山に関する役職の中に有って、つくづく組織社会の矛盾を思い知らされます。一人で居ればなんでも無いことも、其れが人間社会の組織となりますと、実に悲喜こもごもとなって行きます。隠遁したり出家したりする事が現実的でない一般人にあっては尚更の事だと痛感するものです。

いつの時代に有っても究極、自分が自分きりになって歩んで行く事が一番確実な道のようです。       友峰和尚より

 

 

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