和尚のちょっといい話
早朝の境内掃除から始まった一日でしたが、このところの運動不足もいっぺんに解消されていくようでした。ひと口に掃除と言っても、大雑把な掃除から綿々密々にやる掃除までありますから、その意味合いは仕方で随分と違ってきます。竹箒での掃き掃除には限界が有り、狭い場所や細かい部分は掃除道具を色々と変えて丁寧にやっていきますと、石組みや植え木にも愛情が湧いてくるものです。
例えば、つつじの木に杉葉などが引っかかっている場合は、女性の黒髪に付いた糸くずをそっと取ってあげるかのように極めてデリケートな動作が必要です。時折立ち木に声をかけながらのお掃除ですから、ぶつぶつ言っている和尚の姿を誰かが見たら、「変なぼんさん!!変なぼんさん!!」って思われるのは必定です。しかし声をかけながら掃除をした分、終わった後の庭の美しさには感動すら覚えるほど、輝いて見えます。
たかが掃除、されど掃除です。近頃は色々な場面で、相手の人への応対や、接客の仕方に「虚しさ」を覚えるもので、その言葉にも態度にもどこか不十分さを感じます。日本の伝統的茶道や華道、武道、書道等から学ぶ基本中の基本は礼儀作法であろうかと思います。日本の伝統的思いやり精神も今日、風化の一途をたどっているように思えてなりません。お掃除の仕方から「思いやりの心」を学ぶ禅寺での研修を、各企業の幹部職員皆様に是非お勧めしたくなった早朝掃除でした。和尚も歳をとって愚痴臭くなって来たわいな! 友峰和尚より
中越様から頂いた桜の盆栽が、今年も見事な花を咲かせました!
統一地方選挙投票日より一夜明けて各党派の全国の情勢が報道されるなか、今回、和尚が支援した地元選挙区での県会議員候補も当選し漸く肩の荷が下りました。昨晩は深夜に選挙事務所よりお迎えが来て、応援して下さった方々と万歳三唱をしましたが、本当に嬉しく思いました。これまで、僧侶という立場から中立・中道を守ってきましたが、郷土の発展の為にと後援会連合会会長の名のもとに、選挙区の候補者立会演説会に弁士として支援いたしました。何事も全力であたることが「禅」の生き方でもあるので、各地区での応援演説は地元支援者の皆様との信頼関係を深める為の、友好的お話をさせて頂いたものです。おかげさまで和尚も地元の多くの方々と久しぶりに交流が出来ました。数年前からは金沢に居ることが多くなって来ただけに、やはり福井の地元の人達とのコミュニケーションも大切ですね。
グローバル化社会の中にあっては、衆議院議員、県会議員、市議会議員の三者が三位一体となって郷土のあらゆる問題解決のためにアクションを起こしてほしいと切に願うものです。
さて、春の観光シーズンに合わせて、今日も長野県大町市より薬師寺様はじめ檀信徒の皆様、名古屋市からも団体の多くのお客様が法話コースに参加されました。選挙運動から一変して、全力投球での「生き生き法話」全開です! 皆様も是非ご来山ください!
和尚の法話も今日まで。明後日からは、新命副住職の「パワフル法話」に交代です! 「ラッスンゴレライ!!」「いみわからんから・・・・」??? 友峰和尚より
大安禅寺 西の庭
今日は統一地方選挙投票日でしたが、気温も少し上がってお天気も良く、願ってもない投票日和となりました。皆様に於かれましては投票はお済みでしょうか?年々投票率が下がり、また無投票当選の選挙区も増えているそうですから、とても残念に思います。和尚自身、この度の県会議員選挙では地元候補者の応援演説に回りましたが、候補者の施政演説を聞きながらその都度、市民に向けての個人演説会の大切さをしみじみ感じたものです。普段はあまり議員と接することが有りませんから、個人演説会などはその人なりを知る重要な機会でもありますね。「しらけ社会、無関心社会」と言われてしまっては元も子もありませんから、なんらかの工夫をして、若者たちが政治に関心を持ってもらうように願いたいものです。
さてさて、見事に咲いた桜の花もここに来て散り始めました。途端に、大安禅寺を取り巻く山々がいっせいに緑を帯びて行きます。ダイナミックな自然界の営みに感嘆せざるを得ません。青葉若葉のむせ返るような匂いを嗅いでいるだけで元気が出て来ます。空気汚染が叫ばれる今日、まだまだお山の空気の新陳代謝はしっかりと繰り返されているように思います。この時期のおいしい空気を胸いっぱいに吸って、身も心もお掃除したいですね。友峰和尚より
満開の桜が春風に舞い散る姿はまことに絶景かな!絶景かな! そんななか、今日も企業の新入社員に向けて、「法話・坐禅・写経」を組み合わせた研修会が開催されました。初々しい新入社員の皆さんと接していますと、自分までも初心に帰れるというものです。写経などはおそらく、生まれて初めての経験だと思います。日常の生活では筆を持つことも殆ど無い今日ですから、新鮮な気持ちで写経に挑戦している姿を微笑ましく思いました。いいですね!
写経のようす / 書院にて
写経の最後にはそれぞれに祈願文を書いてもらいましたので、明朝、御祈祷をしたいと思っています。新入社員の思いが今後叶う事を祈るばかりです。今日は御法事有り、御供養有り、法話有り、坐禅有り、写経有りと、真にもって多忙な一日でしたが、心から充実した気持ちで過ごすことが出来ました。
これで終わりでは有りませんでした。夕方からは、県会議員選挙候補者の総決起集会で和尚の最後の応援演説が有りましたが、会場には多くの支援者が集まっていましたので、これまでの疲れも吹き飛んだ感じでした。一日を振り返ってみて、本当に人それぞれ、色々な人生を歩んでいるものだと感じ取ったものでした。そして自分の人生を一所懸命に生きている事実を頼もしくも嬉しくも思った土曜日となりました。友峰和尚より
「活、勝、喝」 渓仙 書
地元県会議員選挙も終盤に入り、各候補とも選挙カーで声をからしての「お願いします」の連呼の中、和尚は妻と「期日前投票」に行ってきました。最近ではこの方法が高齢者の方々に受けて、今日も次々と投票に来ていました。なかには身体を支えてもらいながら訪れている方や、車いすの方もおられ、ゆっくり投票できるのがなによりです。和尚自身これまでは、中立の立場から、公には特定候補の応援などに出る事を控えていました。しかしながら社会全体にこれだけ閉塞感が漂ってまいりますと、議員の方々には是非とも事態打破のための政策を実行して頂きたいと強く念じ、今回は地元選出議員候補の応援演説に毎日回っています。何が閉塞感かと言って、福井市中心部より車で20分足らずの大安寺地区も近年、急激な過疎化が進み、それに合わせるかのように町全体の活気が目に見えて失われて行くようで、地元に残る若者にとってはどうにもやるせない状況のようです。確かに、昔ながらの素朴な村々の風情は何物にも代えがたいものを感じますが、やはり、今日の世の移り変わりの激しい中では、今少し、村発展の工夫が有ってもいいのではないかと思っています。和尚としても地元の活性化の為に努力を続けてきましたが、これからは大いに地元議員に力を発揮して頂きたく、候補者の後援会連合会会長の名のもとに応援に回っているところです。「成せば成る 成さねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり」。さて、地元にとって何が活性化につながるかは愈々「公案三昧」の毎日です。友峰和尚より
昨日は御釈迦様の誕生日「降誕会」でしたが、お祝い日に合わせるかのように「釈迦の名号」揮毫の依頼が来て、今日は心を込めて「南無釈迦牟尼仏」の墨蹟をしました。桜もまだまだ十分に見物できます。このところの寒さで花も持ちこたえているわけですが、まもなく春風と共に散って行くことと思います。今日の釈迦名号の揮毫は桜の花のように力強く咲く命を現わす字体になったように思います。
本日の法話のようす
さて、この二日間は久しぶりに墨蹟をしましたが、なんとも気持ちの良い時間でした。昨日書いた字は「空」の一文字で、これも御依頼を受けて書きましたが、どのような字もその時々の心身の調子でずいぶんと書体も違ってきます。今回は、心身共々充実し、桜満開でしかも降誕会に合わせるかのように書くことが出来て、大満足でした。「字は体を現わす」とも言われます。和尚の書いた墨書が、見つめる人の心を和ませるものである事を念じた揮毫の一日となりました。友峰和尚より
今日は降誕会(御釈迦様が御誕生された日)で、通称「花祭り」として世界各国で仏教徒がお祝いをします。卑山・大安禅寺にても午後より職員も交えて誕生佛に甘茶を注ぎ、お祝いをしました。
さて、この甘茶ですが、「なぜ甘茶を注ぐのですか?」と職員から質問を受けましたので、早速に詳しくインターネットで調べるように言いました。大凡知っているようで知らずに慣習を踏襲していることが多いわけで、やはり勉強のつもりでいま一度「甘茶の由来」を調べたところ、御釈迦様がお生まれになった時、9匹の龍が現れ沐浴(産湯)に使う水として「甘露」(甘い水)の雨を降らせたところから甘茶を注ぐのだそうです。「合点合点!」、職員も皆さん納得されたようで「めでたしめでたし」でした。
年の時を経て今なお「仏教」が全世界に脈づいています。今日のように混沌とした時代にあっては尚更、御釈迦様の「無我」の教えが大切かと思います。昨日は京都・妙心寺専門道場より三名の雲水(修行僧)さんが寶勝寺を訪ねてくれました。臨済禅は現代に有っても、修行僧は御釈迦様の法に添うべく厳しい規矩の下、僧堂生活を第一義としています。時代が変わっても己事究明を願う人々は後を絶ちません。御釈迦様の御誕生こそ、我々が仏教徒として心の安心(あんじん)を得ることが出来たことに深く感謝した降誕会でした。友峰和尚より
久しぶりの「生き生き法話」です
春の観光シーズンに入り、大安禅寺も観光客で賑わいをみせた一日となりました。普段は副住職が法話をしているのですが、現在、本山研修で留守にしている為、和尚が代務をしています。卑山の桜は今が満開で見事な咲きっぷりを見せていて、観光客の皆様も大変喜ばれていました。
久しぶりの「生き生き法話」ライブでしたが、最近は毎日、県会議員選挙で候補者の応援演説をしているせいか、おしゃべりも滑らかに言葉の錆びつきも無く、無事に役目を終えたのち「自画自賛」していました。また、今日は愛知県一宮市から、奥村様ご夫妻と木村様が美味しそうな沢山の手造り野菜を持って来てくださいました。
本当に心のこもったお野菜で、味よし、形よし、色よしで、まるで芸術品のようです。和尚も自家菜園をやりたいのですが、仕事が多様で忙しく今のところ実現していません。どのようなお野菜も手間ひまをかけねば良い物は出来ませんから、ちょっとの間を利用して、なんていう考えは通用しませんね。頂いたお野菜は職員の皆様にもおすそ分けしています。お寺に有っては一年を通して檀信徒の皆様から色々な物を頂きますが、本当に「ありがとう おかげさま」に尽きます。昔は、先代住職がお米をはじめ色々な野菜を作っていましたからあまり頂く事はありませんでしたが、最近ではお米までも頂くようになり、「感謝の一語」です。頂きましたお野菜を使ってさっそくお料理したいと思います。謹んで、心を頂きたいと思います。友峰和尚より
寺カフェ、温か~くなっています!
急用の法務のため昨日は寶勝寺に入りましたが、境内は一段と緑を濃くしており、レンギョウをはじめ木瓜や山吹など春を彩る可憐なお花が咲いていて、なんとも「あったか~い」雰囲気でいっぱいでした。寺カフェを訪れるお客様も多くおられ寺内は賑わいを見せていましたし、ときおり選挙カーから呼び掛ける候補者のお願いコールの声さえも何処となしか楽しそうにさえ聞こえて来るような長閑な寺町風景でした。
玄峰副住職はいま、京都・大本山妙心寺にて「高等布教師春季研修」に二週間という長丁場で参加しているわけですが、和尚はその間の留守寺を守りつつの寶勝寺の法務遂行、また、某県会議員選挙・後援会連合会会長の職務も兼ねながら現在頑張っているところですが、あまりにも仕事内容が異なる為、妙な緊張感が続いています。「三日見ぬ間の桜」じゃありませんが、桜の花をゆっくりと見物する間もないほどのハードなスケジュールに、自分でも驚いています。
あさって4月8日は御釈迦様の御誕生日ということで、山門前に五色の吹き流しを掲げました。所謂「仏旗」でもありますね。明日は京都妙心寺専門道場の雲水さんが托鉢に卑山・寳勝寺へ来られるそうですから、丁寧なお出迎えをしなければなりません。和尚も最近は、修行時代を懐かしく思い出す今日この頃です。さて、今日の寶勝寺カフェはドイツ、ノルウェーと外国人観光客デーでした。和尚も皆様と楽しく交流を図った一日となりました。友峰和尚より
満開の桜の花も今日はあいにくの雨風にさらされて花吹雪となって散って行きますが、それはそれでまた風情があります。「散る桜 残る桜も 散る桜」という歌はいかにも無常観溢れる言葉なれど、その無常観こそがまた次の開花への希望を持たせてくれますから、古来より「さくら」は常に人々の心を引き寄せて止まないという事なのでしょうね。そんな桜の舞い散る姿を横目にしながらの供養日となりました。午前中に御先祖と家族動物の霊供養が行われましたが、読経が終わるころには雨も上がり、大安禅寺を取り巻くソメイヨシノの桜並木も供養に参加しているが如く散華(さんげ)を繰り返しているようでした。
四月八日は御釈迦様の御誕生日。仏教徒にとっては大切なお祝い日です。「天上天下唯我独尊」(てんじょうてんげゆいがどくそん)とはあまりにも有名な、御誕生後に間もなく発した言葉ですが、和尚も常に原点回帰の日々を過ごして参りたいと思います。さてこれからは次々と色々な花を咲かせていく時節、大いに心の花も咲かせて参りましょうね。友峰和尚より