和尚のちょっといい話
今か今かと 固唾を飲んで見守りました
日本初の民間ロケット初号機「カイロス」が午前11時20分頃に打ち上げ予定との報道で、さっそくカフェ手伝いの学生さんにYouTubeライブアプリを開いてもらい実況中継を見ていました。残念ながら発射寸前に日程変更で中止となりましたが、人間の宇宙への夢は広がるばかりです。
民間ロケット初号機「カイロス」 / 和歌山県東牟婁郡串本町から生中継
また本日のSNSニュース欄では、アメリカ国防省の8日の発表としてこれまでに世界中で話題となっているUFОいわゆる未確認飛行物体に関して「宇宙人や地球外の技術に関連する証拠は見つからなかった」と公表し、UFОの記事は「ほとんどは誤認」という事だそうですが、あえて今アメリカ国防省が発表した事に違和感を覚えるものです。所謂これまで長きに渡って国家の機密情報として公表されて来なかったとの情報も有り、ますます本当の事を知りたくなるものです。
屋外は雪景色 冬に逆戻り
世界的に宇宙開発が進めば進むほど、UFОの存在に関する機密情報の開示は避けて通れない事態となっているように思います。そもそも広大な宇宙に点在する星々の中で、地球上にしか生命体が存在しないということ自体が俄かに信じられないのも事実です。果たして皆様は如何お考えでしょうか?これまでに空飛ぶ円盤や宇宙人に遭遇された方はおられますでしょうか?
桂岩寺御住職 が 来寺くださいました
和尚の名前は「ゆうほう」で1977年に大ヒットしたピンク・レディーの歌「UFО」の時は29歳でしたが、本当に歌詞の「信じられないことばかりあるの」では有りませんが、毎日毎日「ゆうほう!ゆうほう!」と呼ばれて、信じられない奇妙な気分でした。今日も空を見上げながらUFОとの遭遇を期待したいと思います。
墓前諷経の時刻 晴れ渡るふれあいパーク霊苑のようす
さて本日は厳しい冷え込みと小雪が舞い散るなか墓前年忌諷経を修しましたが、本日もまた読経が始まると同時に太陽の光が墓域一面を照らし出し〝無量光〟の御利益を頂きました。「何ものの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」とは平安時代の高僧・西行法師が伊勢神宮を参詣した時の御歌ですが、最近頻繁に起きる奇跡的自然現象に故人の御徳を偲ぶ毎日となっているようです。友峰和尚より
クロッカス
禅の言葉に「朝打三千 暮打八百(ちょうださんぜん ぼだはっぴゃく)」とあるように、平易に言えば「光陰矢の如し 時人を待たず」または「油断大敵」ということになりましょうか。とにかく人生はあまりにも短く日々油断しないように「心とは何ぞや 生きるとは何ぞや」と常に自分に問いかけながら、一日も無駄に過ごさないよう充実した人生を歩むようにとの座右の銘でもあるかと思います。
庭木の移植準備中
とは言え辛いことは避け少しでも楽をしたい自分が存在するのも事実です。修行時代に師匠から叱咤激励された「石中に火有り 打たざれば出でず 人中に仏性有り 修ぜずんば現れず」という厳しくも優しい言葉を時々思い出しながら今なお奮起しています。
「禅僧は幾つになっても修行を怠るな!!」と専門道場を去る時に言われた師匠の言葉を今も胸に刻みつつ「死ぬまで修行だ!打って打って打ちまくれ!!愚図愚図するな!」とこれまで頑張って来たのですが、どうやら最近では自分を打とうにも力がこもらず不甲斐なさを自覚しながら深く師匠に詫びる毎日となってきました。
さて本日は午後からふれあいパーク霊苑にて開眼納骨供養が修業されました。どんよりとした厚い雲が空を覆い、厳しい寒さの中でのご供養諷経となりましたが、読経中には突然雨雲が開き春の陽光が差し込んで墓石を照らし出し、故人の温かい慈悲心を感得しました。明日からは再び雪模様になるとの事、皆様にはくれぐれもご自愛ください。友峰和尚より
昨日の整理作業中の発見は和尚のオリジナルテレホンカードでしたが、本日はもっと以前に作成したテレホンカードを発見! いつごろ作ったのかと過去を振り返ってみたところ、テレホンカードは1982年、昭和57年の12月に日本で初めて緑色の公衆電話機に使用されたと有り、最も利用されたのが1990年の中頃だそうですからきっと平成元年あたりに作ったものと思われます。
観光開発事業の一環として大安禅寺の花菖蒲園を開園したのが1984年で、開園5周年を記念してテレホンカードをもじって〝テラホンカード〟として志納所に出したところ観光客の方にも人気があったように思います。その後は携帯電話の普及に伴い次第に使われなくなり、発見したテレカは当時を偲ぶ大変貴重な発見となったようです。
大安禅寺庫裡玄関にて 屋根裏倉庫から降ろした品物を搬出しました
さて法務の都合上今日が整理作業最終日となりましたが、更に工事関係者の人数も増え午後には大方の移転作業を予定通りに終えることが出来ました。なにしろ半世紀ぶりの整理移転ですから今後もまだまだ続きそうな気配です。
すっかり綺麗になった 屋根裏のようす
さて明日からは寳勝寺での法務予定が入っており、妻に駅まで送ってもらい一路金沢に向かいました。それにしても4日間に渡る整理でしたが卑山諸堂の復興に今日まで努力して来た経緯を改めて思い出すことが出来、過去を振り返る機会を得たことに有難く感謝するものです。「ローマは1日にしてならず」という言葉が有りますが、日々の努力の積み重ねの大切さを過去の資料を見ながらつくづく感じ取った作業となったようです。友峰和尚より
大安禅寺庫裡玄関前にて
地元福井のテレビ局では、3月16日に北陸新幹線が東京駅から敦賀駅まで延線開業となり福井駅でも多くのイベントが開催予定になっていることを伝えています。能登半島地震発生から約2ヶ月が過ぎましたが、石川県では依然として避難所生活をされている方々が約1万人以上おられる中での開業となり、北陸応援割もこの8日から受付開始と聞いていますが手放しでは喜べない状況となっています。
庫裡修復に伴う 水道管埋設工事が始まりました
福井市民の和尚としては首を長くして待ちに待った北陸新幹線福井駅開業だけに、複雑な思いの中にいます。と言うのも平成23年(2011)6月、金沢寺町の寳勝寺に兼務住職として就任して以来このかた4ヶ所の寺院を今日まで法務遂行と寺院護持に当たっており、元旦に発生した能登半島地震も当時寳勝寺に在寺していて発生後すぐに兼務寺院の被害状況を視察に行き非常に緊迫したものでした。金沢を離れ福井の自坊に戻った時はずいぶんと感覚が異なり、やはり北陸新幹線延線開業の話題にも温度差を感じるものです。それでもこの度の福井駅開業は素直に喜びたいと思います。福井駅と金沢駅間が約30分で結ばれ、今後は行来の時間もかなり短縮されるだけに有難く思っています。開業まであと1週間あまりとなりましたが、地元への経済効果も大いに期待したいものですね。
さて本日も頑張って庫裡自室の私物整理移転作業をしましたが、明日の午前中に廃棄物処理業者の方が来られるというので時間を惜しんで整理に当たりました。庫裡玄関前では工事に伴う水道管埋設作業が始っておりますます慌ただしさを増して来たようです。齢七十六の身体全体から悲鳴の声が聞こえる今日この頃のようです。頑張って参りましょう!!友峰和尚より
本日発見した思い出の品 和尚のテレフォンカード
今日はお手伝い3名の方が加わり 大助かりです
昨日に引き続き早朝より庫裡屋根裏倉庫の整理移転作業となりましたが、本日は工事関係者3名の方が加担くださり、おかげさまでスムーズに作業が進みました。屋根裏では低い位置に多くの太い梁が通っており腰を屈めての作業となるため、和尚などはすぐに腰が病んでしまいます。作業を手伝ってくださる方々も流石に重い荷物を運ぶ時は辛そうな姿勢で、見ているだけでも腰が痛くなりそうです。
天井が低いため 腰をかがめての作業
狭い空間 大きくて重い荷物を屈みながら階下へ運びます
今日のお宝は学生時代に友人と交わした手紙や両親からの便りで大発見でした。化粧箱に丁寧に保管してあり、当時の手紙を読むのは実に54年ぶりとなりました。いやぁ懐かしいと言うかなんというか、大学時代は高校の友人と交わした手紙が多いのですがどの手紙も初めて読む気分で、手紙の内容も心温まる文章でいちど地元に住む友人に会ってみたい気持ちに駆られました。
また両親からの手紙も何度も何度も読み返し、涙が出るほど嬉しく思ったものです。歳を取らなければ当時の両親の子供を想う気持ちはなかなか分からないものだとつくづく自省の念に駆られました。和尚の大切な青春時代のメモリアル品として、密かにタイムカプセルに入れて地中深くに埋めておきたいと思います。
庫裏屋根裏から 品物を下階に降ろす作業は大変でした
ほぼ片付いた 屋根裏倉庫
屋根裏で しばしの休憩タイム
さて本日は大方の整理移転作業を終了することが出来ました。明日からは庫裡全体の保存物整理に入ろうと予定しています。和尚が長年お世話になった自室にもまだ多くの私物が保管してあり、何が発見されるか楽しみにしながらの整理移転作業が続いていきます。「断捨離」とはいえ、やはり深い思い出の品はそう簡単には捨てることが出来ない困った自分がいるようです。友峰和尚より
大安禅寺庫裡屋根裏にて 大整理を開始しました
早朝より大安禅寺庫裡屋根裏に入り、長年保存してある和尚の私物を整理移転する作業を始めました。本年度から重要文化財・庫裡建造物保存修理工事の養生が開始されるというので昨年春頃から少しずつ整理に当たりましたが、なにしろ約40年程前からの保存物でこれまで歩んできた人生の思い出が詰まった品物ばかりでなかなか整理が進まず、とうとう年を越してしまいました。
自分の持ち物だけではなく子供達の幼少の頃からの思い出の品も多く保存してあり、特に写真などは膨大で一枚一枚見るたびに懐かしさのあまりしばしば整理の手がストップする始末! 無理もない話で、滋賀県に嫁いだ長女は既に45歳となり息子の副住職は41歳ですから、本当に走馬灯のように過ぎ去った感が有ります。特に子供達の幼少期に家族で撮った写真には感慨無量です。また幼稚園児の頃の絵や手紙そして小学生の成績表なども懐かしいかぎりでした。大学生になるとガラリと様相も変わり写真なども随分と凛々しく感じ、長女の当時の写真を見るのは本当に久しぶりで家族揃っての写真などは涙が出るほどでした。嗚呼なんたることか「光陰矢の如し 時人を待たず」とはまさにこの事かと実感した次第です。
整理作業を進めるうちに面白い発見もありました。姉弟のどちらが求めたかは定かでありませんが、背番号55読売ジャイアンツ松井秀喜選手のサイン入りボールを発見!!つい先日、松井秀喜選手が後輩指導をしているシーンがニュースで報道されているのを見たばかりでした。新品の状態だったのでそっと保管しておこうと思います。
読売ジャイアンツ松井秀喜選手のサイン入りボール
明日も引き続き整理移転作業が続きますが、私物の他にもこれまで幾度となく諸堂の修復保存工事を繰り返して来た修復事業資料や観光事業の資料なども沢山保存されており、卑山の足跡を知る上でも重要な書類でもあるので大切に保存しておきたいと思います。さて庫裡の屋根裏は寒さが大変厳しく再び風邪気味になってしまいましたが、明日も頑張って続けて参りましょう!!果たして明日は何が出るかな?新たな発見が有るのを楽しみにしています。友峰和尚より
3月3日は桃の節句でもともとは「上巳(じょうみ)の節句」で老若男女問わず邪気を払う行事として伝わっていましたが、江戸時代頃からは女子のお祭りとして定着したそうです。現在ではひな祭りとして雛人形や甘酒、菱餅、ひなあられなどをお供えして女子の災厄を払う行事となっています。
和尚の幼少の頃は終戦後の日本社会の中にあってこれといったおやつも無く、桃の節句には母が必ず砂糖醤油で炒った雛あられを作ってくれた事を思い出します。田舎では師走にお正月用の鏡餅を搗きますが、その際あられも餅も作って保存し桃の節句の折に子供達のおやつにしたものでした。また麹で熟成させた甘酒も美味しく飲んだことを思い出します。
本当に今とは違い甘い食べ物の少ない時代だったので、ひな祭りが来るのを楽しみにしていたように思います。豪華な雛段セットも無く、当時は雑誌の付録に入っていた折り畳みの雛飾りにあられや甘酒を供えて兄弟姉妹でお祝いしたものでした。最近では七段雛飾りからコンパクトな内裏雛飾りや人気アニメのキャラクター雛人形に人気があるそうですから、時代の移り変わりとともに飾り方も色々と変化していくようです。
「 梅花咲きて 香り 衣に満つ 」 渓仙 書
さて日曜日の桃の節句となり、女子のお子様をお持ちの御家族ではどのようなお祝いをされておられますでしょうか? 厄災を払う行事ゆえに、ご家族揃って寺社に出向きお祓いの御祈祷を受けるのも宜しいかと思います。子供達の無事なる成長を和尚も心から願って止まないものです。それにしましても今日も雪模様となり気温もずいぶん低くなっています。皆様にはくれぐれもご自愛くださいますようご祈念申し上げます。友峰和尚より
中庭に うっすらと雪が積もっていました
屋根から滑り落ちる雪の音を聞いて目が覚めましたが、外を眺めれば薄っすらと雪が積もっていました。まるで初雪を思わせるかのようなふわふわとした淡い雪で、今は3月、明日は桃の節句です。
時折小雪が舞い散る寒い一日となりましたが、春雪を楽しむかのように観光客の方が雪と戯れている姿が印象的でした。午前中には川尻家の年忌法要が予定されていたため、寒さを予測して堂内暖房を早めに開始したのが功を奏しました。今年は暖冬と言われていただけに、3月を迎えての急激な寒さに驚いています。
午前10時半より 川尻家年忌法要が修業されました
今月17日(日)には寳勝寺春季彼岸会そして21日(火)春分の日には大安禅寺の春季彼岸会・涅槃会が厳修予定となっておりその準備に入っていますが、先般桂岩寺御住職より涅槃会で御供養された涅槃団子を持参いただき、自坊でもまもなく檀信徒お手伝いの方々が涅槃団子作りをする予定とのことでした。
和尚の幼少の頃より、お檀家の世話人の方が色とりどりの涅槃団子を巧みに作るのを楽しみに見学したものでした。今ではお団子を作る際に色合わせ出来る人も少なくなり、和尚が見よう見まねで毎年涅槃団子作りを担当して来ました。お団子の青黄赤白黒(せいおうせきびゃくこく)の色合いは森羅万象を現し仏旗にも使われていますが、仏法を表わす色でもありますから涅槃団子は仏法のお守りとしても尊重されています。
涅槃団子 / 令和5年3月 大安禅寺
さて春季彼岸会を前にして卑山では祖霊供養や年忌法要が増えて参りました。父母の恩と祖先の恩に感謝し、ご供養を通して「報恩菩提」の真を捧げたいと願っています。お彼岸会には是非ご来寺御参詣賜りますようお待ち申し上げております。 友峰和尚より
「うすらいや わづかに咲ける 芹の花」とは江戸初期の俳人・宝井其角のこの時期の一句ですが、今朝方も厳しい冷え込みとなり玄関前の甕には薄っすらと氷が張っているように見えました。
月刊茶道誌「淡交」 2021年3月号より
午前中に少林寺総代・宮﨑寒雉家の月参りに出向きましたが、諷経終了後に頂いた一服のお抹茶に添えられたお菓子が加賀銘菓「薄氷(うすらい)」でした。「うすらい」は早春の季語でもありますが、なんとも味わいのあるお菓子でその場所では頂かずに寺に持ち帰ってから一人茶を淹れ薄氷を口の中で融かし味わうかのように頂きました。
宮﨑家は加賀藩第三代前田利常公の御用釜師として今日まで代々受け継がれ加賀茶の湯の発展にも大きく貢献されてきた名家でもあり、毎月お参りに出向きますとお参り終了後に奥様が美味しいお抹茶を淹れてくださり加賀の銘菓と親しんでいます。午前中にはふれあいパーク霊苑での開眼納骨供養が修業されましたが、境内の紅梅が満開となっており仄かな香りを漂わせていました。
寳勝寺境内 満開のしだれ梅
霧雨の中で 墳墓開眼納骨諷経を修業いたしました
霊苑奥の院 の しだれ紅梅
瑞光寺にて
このところ随分と冷え込みが続いていますが、明日は雪模様になるとの事。そろそろスノータイヤを入れ替えようと思いましたが春のお彼岸会を過ぎてからにしようと思います。また午後には本多町瑞光寺に出向き御堂並びに庫裡の定期掃除をしたものの、あまりの寒さからか次第に風邪気味となり早々に帰山する始末。寒暖差の激しい昨今故に、年寄りには身体への負荷が大きいようです。さて弥生3月を迎え気持ちも幾分軽く感じますが、体調管理に留意しながらゆっくり前進して参りたく思います。友峰和尚より
瑞光寺の六地蔵様
3月を目前に 厄除開運・諸縁吉祥の御祈祷を修業いたしました
本日は4年に一度の「うるう年」でグレゴリオ暦では西暦年号が4で割り切れる年を言うそうで、今日生まれた方の1歳の誕生日を迎えるのは来年2月28日午後12時に歳をとるそうです。それはそうとして本日は数字の語呂合わせから「肉」また「ニンニク」の日だそうで、我々仏教の世界では「忍辱(にんにく)」の日でもあり「耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ」日であろうかと思います。肉とニンニクは相性が良いですから、このところの寒さを凌ぐためにも是非ニンニク焼肉を食して元気を出して頂きたいと思います。
藤本さん、高倉さんと、ガラス工芸作家の髙橋さんです
午後からは日頃寺カフェでお手伝いくださっている方々が偶然にも同じ時間に来寺され、一緒に和合の茶礼をしながらそれぞれに近況の話題で盛り上がりしばし歓談しました。
藤本さんはこの度全国大会で特別賞を受賞したとのことで賞状やトロフィーを見せてもらいました。彼女は現在長野県農業大学校で農業技術等を学んでいますが、これまでにも「農業大学校等意見発表会」の長野大会、関東大会で第1位を受賞しており、これからの農業開発を担う若者として大きな期待が寄せられています。
若者達の農業離れが急速に進む今日の農業事情に於いて、近未来に向けての農業改革と農産物並びに果樹園の発展の為にも頑張って欲しいと願っています。また高橋ナオミさんもガラス工芸作家として金沢を拠点に活躍しており、今年も多くの作品展が開催予定になっているとのことでした。それぞれに人生の生き方も考え方も行動パターンも違いますが、自己の信念に基づいて努力を続けている姿を嬉しく見守っています。
さて明日から弥生3月を迎えますが、寒さは依然として毎日厳しい状況が続いています。されど「弥生(やよい)」と聞くと気持ちも幾分軽くなって春の到来を待ち遠しく思うものですね。髙橋さんの話では伝燈寺では今朝方に今年初めてウグイスが啼いたそうですからなんともほっこりしました。
近況を報告しあう 午後のひととき
「梅は咲いたか 桜はまだかいな 柳やなよなよ風しだい~」どこからか小唄が聞こえて来そうな長閑な一日となったようです。春はもうすぐそこまでやって来ているようです!くれぐれもご自愛ください。友峰和尚より