和尚のちょっといい話
新命和尚の修行道場・京都妙心寺専門道場の会下で組織する「岫雲会(しゅううんかい)」の北陸大会が明日卑山を会場に開催されるということで、修行仲間達がその準備のために来寺されました。総勢約四十名が参加されるそうですが、岫雲会というのは新命和尚の師匠のお名前を頂いて付けられたそうです。明日は岫雲軒老大師も出席されるとの事で、和尚も久しぶりにお会いできるのを楽しみにしています。
一日を通して色々な方が用事で来られますが、午前中には地元・中日新聞記者の取材を受け、その後は大安禅寺のパソコンシステムを管理して下さっている増田先生にパソコンの不具合を直してもらいました。和尚にとってギリギリのところでパソコンや電子メールを操作していますが、一度不具合が生じるとまったくにお手上げ状態で説明を受けてもチンプンカンプンといったところでしょうか。されど「パソコン!!」 今の時代に有ってはコンピュータ無くして前には進めませんから、必死に食らいついて頑張っているのが現状です。このブログとて皆様にお届けできるのもパソコンのお蔭です。「来る人も 又来る人も 福の神」なんですね。
午前中に取材を受けた中日新聞の記者の方との出会いも、インターネット上でのホームページがご縁ですから、電子社会万歳!ですね。さて皆様、お元気にお過ごしでしょうか? 和尚の「ちょっといい話」も1284話となりました。数字の語呂合わせで「胃には良い」回です。いつも思いますが、いい話とは「何にもなかった平穏無事の一日」なんですね。どうやら今日も無事に過ごせたようです。友峰和尚より
春一番が吹いて、一度は境内の掃き掃除が終了しているものの雪解けの庭の手入れが欠かせない毎日です。寺の住職の日々の仕事の大半が掃除に集中しますが、外掃除のみならず堂内掃除や庭木の手入れのほか「山作務(やまざむ)」と言って、大安禅寺などは広大な面積を有しているため境内よりさらに約三百メートルほど登った場所に有る松平家の廟所「千畳敷」に至るまでの杉木立の間伐や参道の掃除など、まさに掃除三昧の人生とも言えます。
現在は副住職がその任に当たっていますが、和尚も金沢から戻った時には努めて外掃除に専念しています。「禅寺の面目は掃除に有り!」これが和尚の悟りでも有ります。綺麗に掃き清められた境内の空気感こそ「浄土国」そのものなのです。
久しぶりの自坊での滞在、掃除後は新命和尚の長男・永峰(えいほう)の孫守をしましたが、あっという間に大きくなっていて驚きました。既に赤子の雰囲気は無く、すやすやと腕の中で眠る健やかな童子の顔には未来の僧侶の風格を感じたものでした。
そのうちに和尚も「じじバカ日誌」を綴ってみたいと思います。一日を通して、皆様も色々な経験をすると思いますが、住職とは「十の職」(じゅうのしょく)を持つ人という意味だろうと思っています。所謂「なんでも屋さん」こそ住職冥利に尽きるものです。友峰和尚より
昨日は一気に花菖蒲園の整備をしたためか、流石に今日は身体のあちこちが筋肉痛に襲われ、情けないやら悔しいやら! やはり毎日のストレッチが大切であることをしみじみ思いました。朝から小雨模様となりましたが、イノシシ被害にあった菖蒲の株も元通りに植え直したため、なんとも心地よい春雨の音に感じたものでした。何事もそうですが、直ぐに実行することが、手遅れを防ぐ最大の防御となるものです。その後に、自分の周囲に起きる全ての事象とも実に「波長」の合うものとなって行くようです。「人生は歯車の如し」で、いちど歯車が緩んでしまうとすべてがガタガタになって行くようなものです。如何に波長を整えていくかは「一期一会」の真理を徹底して実践する事だと改めて自覚するものです。
新命副住職による 南庭のお掃除
愛知県一宮市にお住まいの奥村様がわざわざ手作りのお野菜を沢山寳勝寺に持って来て下さいました。奥村様とは長いご縁を頂いていますが、これまでにも幾度となく御主人が手塩にかけて作られたお野菜を頂いてきました。思いやりのこもったお野菜とはこういう物を言うのであろうといつも料理をしながら思っています。深みのあるお野菜の甘味や、とろけるような千切り大根の風味は絶妙です。本当に有り難うございました。
奥村様と 2015年6月 大安禅寺にて
ブログで紹介していない多くの方々からも色々なお品を頂いていますが、いつも感謝いたしております。本日は金曜坐禅会会員でも有ります大工師・小林永尚師に、和尚の墨蹟額「勝」を贈呈させて頂きましたが、これまでに手作りの仏具などを寄贈してくださいました。新命和尚とのご縁が良い広がりを見せている大安禅寺の昨今の様です。友峰和尚より
今年の花菖蒲の成長は如何! 実にむごい話ですが、和尚の留守中にイノシシ避けの柵が打ち破られ、無残にも菖蒲の苗はことごとく掘り起こされ、荒れ放題の状態。憎っくきイノシシめ!!と叫びたいところですが、うり坊を引き連れての餌探し、和尚にも可愛い孫が5人います。イノシシさんとて可愛い子供の餌探しですから、ここんところは「忍の一字」で、本日はひっくり返された菖蒲の株をひたすら頑張って元の位置に植え直す作業に専念しました。もはや和尚の体力にも限界が来ているのですが、他人に作業を頼んでいる場合ではないのです。この寒さでは根が一辺に傷んでしまい、一刻を争う状況の為、自分でやるしか有りませんね。
和尚が手掛けた「花菖蒲園」も約30年以上の歳月が流れました。気付いてみれば、これまで辛い作業を手伝って来てくれた作業員の皆様も80歳前後の方ばかりになりました。今や若者達の農業離れも大変心配です。昨日より1泊2日で地元の医大生諸君が卑山で研修をされていましたが、医学生も若き僧侶も「農業体験」を是非してほしいものだと和尚はつくづく思います。近年多発する若者の不祥事事件を見聞きしていますと、物を育てる真心や思いやりの欠如を感じます。僧侶も医師にも共通する事は、病気を治す事も大切ですが、病気にかからないようにするための予防手段とは何かを実地体験する方が重要に思います。老骨に鞭を打ってでも和尚自身が菖蒲の整備に入るのは、今日までの長い間、花菖蒲を育てて来た愛情に他ならないのです。子育ても花を育てるのも作物を実らせることも、心は同じことだと思います。
さて厳しい作業でしたが、ラジオから流れる山下達郎さんの素敵な音楽に助けられて無事に終了することが出来ました!めでたし!めでたし!今年もきっと素晴らしい花菖蒲を咲かせてくれることと思います。皆さん、6月をお楽しみに! 友峰和尚より
本日は滋賀県甲賀市水口町の 大池寺 様を会場に、「教区花園会役員研修会」が行われました。臨済宗妙心寺派 滋賀北陸教区には五つの部が有り、滋賀県・福井県・石川県の各寺院で構成されています。毎年恒例の役員研修会ですが、それぞれの部には本山護持と檀信徒間交流の為の「花園会」が組織されており、本日はその役員方々の研修会で午前10時半より開催されました。
甲賀と言えば「忍者の里」と言われるほど有名なところで、研修終了後、役員の皆様は忍者屋敷へ見学に行かれました。毎年約2千万人の外国人観光客が日本に訪れていますが、いまや外国人の方々には「忍者」が人気を博しており「忍者ブーム」とまで言われています。そう言えば先般ある高校のクラブ活動に「忍者クラブ」が結成され、日々訓練に励んでいるとか。金沢市寺町にも「忍者寺」なる寺院が有り、年間約20万人以上の観光客で賑わっていますが、最近では特に外国人の方が目立って増えてきているようでその人気度が伺えます。今や外国人観光客にとって「日本」と言えば「富士山」「忍者」「侍」「芸者」「温泉」が人気だそうですから面白いですね。「寳勝寺・寺カフェ」も「忍者カフェ」とでも名前を変えてみましょうか?ウン果たして「忍者」の別名が「草のもの」「らっぱ」と呼ぶらしいのですが、今の時代にはどうもピンとこないのが正直なところです。ドロン! 友峰和尚より
滋賀県に住んでいる孫からの、手作りバレンタインチョコレート
昨年の3月10日に「寳勝寺木曜坐禅会」が発足し、昨日はちょうど丸一年目を迎えました。会員は現在約10名ですが、この1年間休むことなく、よく精進して来られたと思います。最近はヨガがブームになっていますが、坐禅は「身・気・心」を整える瞑想法で、適切な指導を受けて継続していくうちに身体全体に気がみなぎり、自然と心が落ち着いていくものです。
電子機器が発展した今の時代は、昔と違って一人きりになる時間も減少傾向に有るかと思われます。人間の心は外に向かえば向かうほど不安定になるものですから、いちど思い切って静かに坐って自分の心と対面してみるのも大切だと思います。
坐禅終了後の茶礼にて
「何にも思わぬは仏の稽古也」と有りますように、坐禅をしながら呼吸を整えることで、まるで宇宙の中の地球のように体全体が空中を浮遊しているような爽快さを味わうものです。「心こそ 迷わす心なれ 心に心 心許すな」という世語の如く、日々の心の有り様は「自分の心」がキーワードです。皆様もぜひ坐禅にトライしてみて下さい。人生、「思い切り!」が大切ですし、人生観もガラリ!と変わると言うものです。
祥月命日御供養 の ようす
さて午前中には、河原市石材㈱の社長様と寳勝寺永代墓・墓石移転の打ち合わせをしましたが、「念には念を入れよ」で、綿々密密な改葬工事を進めて行きたいと念じています。友峰和尚より
雲ひとつない素晴らしいお天気となった本日、ふれあいパーク霊苑永代墓にて卑山檀信徒有縁無縁の納骨法要が関係者出席のもと午前十時より厳修されました。檀信徒墓地は奥の院に整地されていますが、写真の如く、少しずつその形を表し始めています。
法要中 施工会社並びに石材店関係者の方がご焼香されているようす
㈱ココ・プランニング宮崎デザイナーの設計図に基づいての施工となっていますが、植栽も同時に始まり、奥の院の中央には大安禅寺の蒔田総代様から寄進された「しだれ梅」が植樹されました。加賀藩前田家の家紋は梅鉢紋様で卑山は第三代藩主・前田利常公が建立したことから、しだれ梅を慰霊のシンボルとして今回植えたものです。奥の院には三界萬霊塔(檀信徒永代墓)と歴世塔(歴代の住職のお墓)並びに今回のふれあいパーク霊苑改葬工事の「顕彰碑」も建てられる予定となっています。
奥の院中央へ しだれ梅を植樹 枝を見ながら方向を検討しているようす
数種の土を混ぜながら 丁寧に植えられているようす
作業員の皆様とともに 素晴らしい好天気に感謝
さて皆様は自分の末後をどのように捉えられていますでしょうか?「焼けば灰、埋めば土となる時如何!」という禅の問答が有りましたが、皆様ならどう答えられますでしょうか? 和尚が全力で改葬工事に取り組んでいる理由は「一即一切」「天地一指」「即心即佛」に答えが有ります。今日の「墓じまい」や「供養離れ」「直葬」の現実に鑑み、祖霊供養の大切さをより一層思うものです。故人の恩徳に真の心を捧げて行く所に、心の平安と家族の和合が生じて行くものだと思います。「天地(あまつち)や 無言の経を 繰り返し」二宮尊徳先生の言葉が心にしみる祖霊供養となりました。友峰和尚より
大安禅寺 境内の融雪装置
今日はずいぶんと気温が上がり境内の雪も融け始めましたが、北陸の冬は少しの油断も出来ず、再び大雪となる事も想定して庫裡前の融雪装置を整備しました。融雪の水は裏山30メートルほど登ったところの谷間から山水をパイプで引いて散水しています。和尚手作りの融雪装置でここ数十年大活躍している優れものです。
しかしながら、谷水を引いているため雨が降ると取水口に泥が詰まって用を成さなくなり、毎回こまめなメンテナンスが欠かせません。今年は降雪も少なく取水口まで登るのもそれほどの苦労は有りませんでしたが、近年イノシシの数が急激に増えたということで、イノシシに襲われないようにあたりを気にしながらの作業は大変疲れるものです。現場近くには縦横無尽に歩き回ったイノシシの足跡がありゾッとします。山水の取水口を見に行きイノシシに襲われたのでは洒落にもなりません。
勢いよくノズルより噴射する光景は爽快そのものです。みるみる雪が融けていきますから、ガッテン!ガッテン!「油断大敵」ならず「水断大敵」です。寸暇を惜しんでの作業でしたが無事に整備を終えました。アメリカではダム決壊危険のニュースが流れていましたが、何事においても日々のメンテナンスこそが無事につながります。
その後は境内の掃き掃除をしましたが本当に気持ちの良い一日となったものです。「一日作さざれば、一日食らわず」百丈懐海禅師の御垂訓です。疲れた後にはチョコレート!バレバレのチョコレート!ピコ!ピコ! 友峰和尚より
寺カフェお手伝いスタッフさんより ありがとうございます!
平成26年3月12日より17日までの約一週間、金沢市広坂・しいのき迎賓館で「活・勝・喝」と題し墨蹟禅画展を開催して今年でまもなく三年を迎えようとしています。そもそもしいのき迎賓館とのご縁は、館にお勤めの才田様から紹介を頂き個展開催の運びとなりました。ご縁とは不思議なもので、ちょうどその年の秋にニューヨーク、サラ・ローレンス大学での個展を計画していた時だけに、それをイメージしながらの展示会場づくりとなりました。
しいのき迎賓館は長く石川県政の歴史を刻んできた旧石川県庁の建物をリニューアルした、大変立派なシチュエーションの建造物でした。あれから3年の月日が流れましたが、しいのき迎賓館を訪れるたびに当時の事が思い出されます。その後、北陸新幹線が開業し、金沢市内には関東からの観光客がどっと押し寄せていますが、しいのき迎賓館では「しいのきイベント」や「しいのき企画」などを開催して人気を博しているようです。
しいのき迎賓館 公式ホームページより
越前和紙作家 長田和也氏の作品
「弄花香満衣」
相変わらず金沢と福井を行ったり来たりの行動パターンですが、最近になって起床の際にどちらに居るのかわからない感覚が増えて来ました。いつものように手を伸ばしたらそこに有る物がどちらも同じような状態にして就寝する事にしています。と言いますのも、深夜の暗闇の中で無意識に物を探る動作をしますが、そこにいつも置いてあるはずのものが無いと、くっきり目が覚めてしまうからです。皆様はそのような経験はありませんか? 面白い経験だと思います。さて本日は自坊に戻りましたが、やはり大変に気分の良いものです。環境が変わると何もかもが違って感じるものですから、長年住み慣れた我が家ほど心地よい環境は有りませんね。また何よりも孫と会えるのが一番です! 帰山後、早速にバレンタインデーの手造りチョコレートをもらいましたよ。これは本物だ!
静まり返った自室にあっては身も心もリラックスして、ゆっくりと流れる時間を存分に楽しむことが出来ました。忙しい毎日を過ごしていると自分をも忘れがちになりますが、今日だけは自分の心と心行くまで戯れる事が出来たようです。友峰和尚より