8月, 2017年

第1445話

2017-08-02

8月のことを昔の歴の読み方では「葉月(はずき)」と言いますが、これは「葉っぱの生い茂る月」とか「大樹の葉っぱの下で涼む」の意味があるそうで、このところの何ともうだるような暑さに恨めしい感じがします。おまけに夏蝉のジイジイと鳴く声がいっそう拍車を掛けますから、木陰(こかげ)も安住の場所とはいかないようです。和尚もここに来てようやく時間の余裕が生まれ、早朝から境内の草引きと掃き掃除に集中しました。一見、美しい苔庭のように見えると思うのですが、和尚の眼にはその美しい苔よりぴょっぴょっと生えている小さな雑草のほうが際立って見え、困ってしまいます。兎に角「雑草は雑僧となる」と自覚しての草引きです。いつもより幾分朝の気温も低く、スムーズに終了できました。

また一昨日、前々より中部緑地さんにお願いしておいた吹き流し用の竹竿が霊苑入り口に立てられ、早速に本日、五色の仏法を表す吹き流しを取り付けました。そもそも五色とは「青・黄・赤・白・黒」を言うのですが、これがなにゆえ仏旗の色かと言いますと、大自然の色そして仏陀の身体を現わす色といわれています。今日は好天気の中、夏風に乗って悠然とたなびいていました。

午前中には㈱ココ・プランニング中本社長も卑山に来られ、ふれあいパーク霊苑の進捗状況などを知らせてくれました。スタッフの皆さんも霊苑仮事務所でお客様の対応に当たっておられましたが、本当にこの暑さの中、ご苦労様でした。今月は旧盆月で和尚も再び忙しくなりますが、しっかりと霊供養を続けて参りたいと思っています。皆様もどうかお盆には、御先祖様の御霊に沢山の御供え物をしてお精霊をお迎えください。合掌 友峰和尚より

中本社長様とともに

平成29年度 寳勝寺盂蘭盆会 住職法話

2017-08-01

寳勝寺 盂蘭盆会法要のようす

 今年もたくさんの皆様にご列席頂き、こうしてつつがなく盂蘭盆会法要を修行できますこと心より感謝申し上げます。寳勝寺は加賀藩前田家を支えた名武将の武家寺ということで、なんとしても寺を盛り立てて復興していきたいという思いで今日まで勤めて参りました。・・・よく聞かれるのは、「和尚はなぜ、金沢で寳勝寺の復興に尽力するのか?」ということですが、それはひとえに祖霊への報恩菩提だと思います。・・・御先祖というと「亡くなった親族」と考えるかもしれませんが、すべては一即一切(いちそくいっさい)であり、皆がひとつであり、常に「ここ」に生きています。「今という 今こそ今が大事なり 大事の今が 生涯の今」。昨日も今日も無く、今を一生懸命に生きること。縁があったからには全力を投球すること。その想いこそが報恩菩提であります。・・・我々は臨済宗ですが、中国唐末の禅僧・趙州(じょうしゅう)和尚の「洗鉢盂去(鉢盂洗い去れ)」という禅問答があります。

僧、趙州に問う。一人の僧が趙州に尋ねた。

「学人乍入叢林、乞う師、指示せよ。」≪私は未熟な修行僧です。どうぞ、私にご教示願います。口では謙遜しながらも少々得意げに

州云く、「喫粥了われるや。」≪趙州和尚が答えるに「おぬし、朝飯は食べてきたか?」…「悟りを開いたか?」

僧云く、「喫し了る。」≪僧が答えて「しっかりと食べてきました。」…「もう充分に悟っております。

州云く、「鉢盂洗い去れ。」≪趙州和尚が答えるに「朝飯が済んだなら飯茶碗をよく洗っておけ!」…「悟っているというなら得意気にならず、悟りの臭いが抜けきるまで更に修行に励め!

・・・お釈迦様の悟りとは、「放下着(ほうげじゃく)」つまり「捨ててしまえ!」ということです。人間は心に計らいがあると、却って動けなくなってしまいます。縁に従い無心の行をしていると必ず仏天の加護があります。私は寳勝寺第二十一代住職であり、この代に繋がるまでに江戸から明治そして戦時中も、代々の住職が大変な苦労をし檀信徒と支え合って守って来たからこそ、今ここにおられる檀信徒皆様、㈱ココ・プランニングの方々、㈱豊蔵組の皆様、㈱いせやの皆様のご縁が生まれたという、これこそが仏天の加護です。・・・そしていつも礼儀を忘れず、お互いに丁寧に接していくことこそ、「鉢盂洗い去れ。」の意味するところです。・・・寳勝寺霊苑は「ふれあいパーク」霊苑です。毎日行きたくなるような公園の中のお墓であり、そういう場所で御先祖供養が出来ることを非常にうれしく思います。また「奥の院」には、三界萬霊塔と歴世塔そして顕彰碑を造り、御真前には、創建以来の住職始め檀信徒や信者全ての御家名を彫刻した石板を祀って永代に供養されることとなりました。・・・人間は、祖先の恩、父母の恩を忘れ去った時に国が乱れ、世界が乱れ、やがて大きな戦争に巻き込まれる。誰かが食い止めねばならないが、世界を語らずとも「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」、この寳勝寺から始めればよいのです。・・・「宝勝寺ふれあいパーク霊苑」はまだ始まったばかりですから、我々も檀信徒の皆様も一丸となって、寳勝寺の維持と復興が進んでいくことを切に願っております。本日は卑山盂蘭盆会施餓鬼法要にお参り頂き、心より感謝申し上げます。 (事務局編集)

 

第1444話

2017-08-01

大安禅寺の大鐘

五時を告げる暁鐘(ぎょうしょう)の音色が、大安禅寺の境内一帯に広がっていきます。いつの頃からか、暁鐘を撞くのは寺庭(お寺の奥方)の役割となっているようですが、実に清々しく表現しがたいほどの安心感を覚えるものです。暁鐘の音色と共に一斉に蝉しぐれとなるのも気持ちの良いものです。

大凡卑山の歴史に添うように約四百年間に渡って時を告げて来た大鐘(つりがね)ですが、現在は朝の五時と、正午前の十一時半と夕刻の六時、一日に三回鳴らされます。本来は寺の行事の時に鳴らされるものですが、昔は檀信徒方々が山仕事をされる時の時刻を知らせる役目も果たしていたそうです。

卑山の大鐘は創建当初1662年に鋳造されたもので、開山・大愚宗築禅師の頌偈(じゅげ)が刻まれています。人々はそれぞれの人生を歩む中で色々な衆生縁(しゅじょうえん)に遭遇しますが、その都度、複雑な心の葛藤を生んで行くものです。どこに心の安らぎを求めたらいいのかと申せば、先人達の慈恩に報(むく)いんと心を発する時、自然と安堵するものです。そのことを仏教では「報恩菩提心(ほうおんぼだいしん)」と言うのですが、その意味は、「先人の多くの慈恩に報いんが為に自分は今、周りの人々に何を成すべきか」の真心を起こす事を言います。父母の恩や祖先の恩から心が離れていくにつれ、心の不安が増大していく自分を知るべしであります。

「何事の おわしますかは知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」西行法師の歌ですが、日本社会から仏教理念が遠ざかっていく今、再び社会混沌時代を迎えようとしているように思えてなりません。暁鐘の音色に安堵感を覚えるのは、約四百年の時を経てもなお変わらぬ慈悲の音色に安堵するのだと思います。さて、愈々今日から8月です! 8月は「発がつ」、大いに心を発して頑張って参りましょう!友峰和尚より

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