和尚のちょっといい話
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桜の芽吹き / 寳勝寺の庭にて
「仏道を習うとは自己を習う事なり 自己を習うとは己を忘るる事なり」とは道元禅師のお言葉ですが、これでも一般的には難しい言い回しで、もっと平易に言えば、「本当の自分の心と出会いたければ、まずは自分の心を見つめる時間を作りなさい、自分を見つめる時間が出来たら、自分を忘れるように努力しなさい」とでも言いましょうか。なにがゆえにそうなるのかと言えば、「自分(自我)などという、自分を特定できる自己は、本来何処にも無い」からなのです。この「なんにも無い心の世界」こそ、「心の本来の姿」なんですね。
近年、若い世代には、「個人主義思想」が強く浸透しつつあります。それも理解できますが、もうひとつ、「他己主義思想(他人を大切に思う心)」も求められています。仏教は、あくまでも「真理実証体験」を主眼としています。日本国は、聖徳太子以来、仏教国として「和」の精神が受け継がれて来た「心を主体とした国家」であったと和尚は思います。お寺を訪ねてこられる方々はその「和」の精神を実践しておられる方々ですから、「来る人も 来る人も 福の神」的な方ばかりですね。家族や他人との人間関係が難しくなりつつある今日、いまいちど、お寺の存在を見直していただきたいと思います。
須弥壇の大掃除
式台工事進行中
全国に約7万ヶ寺あると言われる寺院が、市民の心の拠り所の場所として大いに活用されんことを願うばかりです。
さて、今日も堂内のお掃除が続けられています。3月1日より、5か月ぶりにお参りできますので、皆様のご来寺をお待ち申し上げております。友峰和尚より
会長・片岡正明 様 と 代表取締役・片岡正太郎 様 です。
本日は副住職とともに、片岡経営会計事務所へ昨年度会計決算の税務申告の為におもむきました。「経理」とは? の問いに対して、「道筋を通して治める事」と有りますように、天下国家を治めるにも「経営」の手腕が問われています。寺院の運営も昔とは随分異なり、檀信徒様の布施や寄付ばかりに頼っていては申し訳が立ちませんから、住職にもそれなりの「経営」が求められる時代。ならば収益のために何の手立てが有るかと問われれば、そこがそれまた難題で、あくまでも宗教活動が基本ですから、ここんところは専門家の御意見ご指導を仰ぐのが一番かと思いました。
幕末後、大安禅寺が荒廃の一途をたどる中で約40年前に片岡正明税理士師と出会い、それ以来、寺院再建を目指し、今日まで全面的に経理経営指導を受けながら尽力してきましたが、偏に経理は「経糸(たていと)の条理」と心得ての今日までの努力であったように思います。本日は、世代交代に伴う引き継ぎの為の訪問となりました。片岡経営会計事務所の現社長は、片岡正明氏の長男・正太郎氏で、威風堂々とした応対で心から頼もしくまた嬉しく思いました。
正太郎氏は小学生の頃から長年にわたって、父・正明氏とともに大安禅寺の金曜坐禅会に参禅されて来ましたので、和尚の思いにもひとしおの物が有ります。本日は副住職を伴っての訪問。世代交代と共に、税務の申告方法も様変わりをしています。生涯勉強と感じ取った片岡経営会計事務所の訪問となりました。友峰和尚より
3月1日に「寶勝寺・寺カフェ」をオープンする為の努力が、工事関係者によって全力投球で続けられています。このたびの本堂屋根修復工事も愈々大詰めに入り、合わせて式台(玄関)復元工事が間もなく完成となります。
国選定の寺町寺院群は、金沢市に於いては観光面での最後の切り札的歴史遺産でもあり、その中にあって寶勝寺の建造物は極めて重要な文化遺産であると和尚は考えています。特に大切なことは、建造物を創建当初の形に復元することで、そこから当時の色々な歴史的事情を知ることが出来ます。絢爛豪華な建物だけが重要建築物ではなく、当時の状況が建物を通して後世に伝えられていくところに、建物のもつ価値が見いだされて行きます。
今回の修復工事過程では、棟札などの重要な発見が有りました。悠久の人間の歴史は建造物の中に偲ばれます。「寺カフェ」を通して多くの観光客の皆様に寺町寺院群の成り立ちやその役割などを知って頂きたいと願うものです。さて皆様長らくお待たせいたしました、法悦の広がりを見せる寶勝寺カフェで、暫しお茶の一時をお楽しみください。友峰和尚より
うしくんとともに / 平成26年 2月16日 撮影
大安禅寺の人気アイドル猫「うしくん」が、昨日の夕方4時半に息を引き取りました。18年の長きに渡り、多くの参詣者方々の人気を得て来ましたが、高齢の為かこのところ身体の衰えが見え始め、お医者様の検診の甲斐なく、妻の懐に抱かれながら眠るがごとく亡くなったそうです。18年前の丑年に、寺の境内で職員に拾われ飼われることとなった「うしくん」。毛並みも牛の模様に似ていた為、職員が「うし」と名付けました。
平成25年 9月7日 撮影
それ以来今日まで参詣者からの人気を独り占めにしてきたわけですが、それはそれはネコちゃん大好きのお客様からどれだけ「なでなで」され、可愛がられて来たことか。今日は家族をはじめ職員皆さんと共に、副住職が読経してお別れしました。大安禅寺には家族動物霊堂が有り、多くの地元地域方々の動物の遺骨が安置されています。少子高齢化社会の進む今日、家族動物たちの持つ役割が増大しています。家族の一員として18年間、生活を共にして来た「うしくん」、多くの方々から愛されて来た「うしくん」に、こころから哀悼の意を表したいと思います。友峰和尚より
大安禅寺金曜坐禅会の懇親会が昨晩、そば処「やす竹」で有りましたが、会長の藤井氏は御年81歳になられたそうです。今日まで20年以上に渡って欠かさずに坐禅を続けて来られ、一時は体調を崩されたことも有りましたが、坐禅によって病気を克服されたとか。坐禅会員の皆様の中には幾人か同じように坐禅を通して病気を克服された方がおられます。坐禅は健康を目的としたものでは有りませんが、「病は気から」と言われますように、坐禅の呼吸法が「気」を丈夫にする事は確かのようです。
また、坐禅のみならず、「ノミニュケーション」も会員の皆様との懇親を深める為に良いものです。最近は坐禅会も女性の方が増えつつありますが、とても良い事だと思いますね。昔と違って何かとスピードアップした社会の中で、思い切って時間を止め、自己の心と対面してみるのも大切かと思います。ブログをご覧の皆様も一度、坐禅にトライしてみませんか。現在は副住職が坐禅指導をしていますよ。たった一枚きりの坐布団の上での瞑想です。こんなに安価で大いなる安心の効果を生み出す方法は他にはないと思います。気持ちの良いことが健康回復への一番の近道のようですね。友峰和尚より
バレンタインデーに頂いたチョコレートを「チョコ、チョコ」口にしながら、昨日に引き続き本日も外掃除に励みましたが、チョコレートは実に元気が出るものです。口の中いっぱいに溶け込むように広がっていく味わいはたまらないわけですが、掃き掃除は極めてエネルギーの消耗が激しいので、チョコレートは臨時栄養補給に最適です。
今日は午前中、法務の為に出頭し、午後も檀家さんのお参りに行きましたが、その際もお経を唱えた後に頂いたチョコレートが喉の疲れを即座に癒してくれるようで、改めて沢山のチョコレートを頂きましたことに感謝いたしました。まだまだ十分に保管されていますので、暫らくは安心です。誰が考え出したか「バレンタインデー」でのチョコプレゼント日。和尚にとっては末永く続いて欲しいと願いました。一年を通して多くのプレゼント日が有ります。プレゼントは、差し上げても頂いても嬉しいものですね。まもなくお雛祭り、さて孫たちに何をプレゼントしようかな? なんて、考えているだけでも幸せな気分になれるものです。このように思えるのも、平和だからですね。本当に、何事もない平穏無事がどんなに有り難い事かしみじみ思う今日この頃です。さて、今日は、寶勝寺に一宮からわざわざ奥村様がお立ち寄りくださったとか、和尚が留守中でごめんなさい。何処にあっても訪問頂けることは本当に嬉しく思います。またお会いしたく思います。友峰和尚より

気温も上がり晴れ間を見ての外掃除、とても気持ちの良いものです。これからは雪解け後の庭掃除に入りますが、地面にこびりついた枯れ葉を剥がしながらの根気との戦いです。掃除をしていると、世間のざわめきとは無縁の世界に入って行きます。境内地を掃き清めながら心はタイムマシンに乗ったかのように古の世界へと誘われていくかのようです。
歴史を感じ取りながらの掃き掃除、今日まで長きに渡り幾人もの僧侶の手で掃き清められて来た境内は清浄そのものですね。何が故に人間は争うのか! 何が故に自分だけが正しいと自己主張するのか! 「掃除三昧」の境地には、自己の存在すら消え去って行くようです。さて、お寺の方は「千客万来」でした。お客様の用事もいろいろです。和尚も応対のため”出たり入ったり”の一日ながらお掃除お掃除でした。一年を通してみると、ブログの中には掃除の話が多く出て来ますが、掃除ほど気持ちの良いことは他にないからですね。和尚の宗旨は「掃除宗」かも。皆様も何か辛いこと、思い悩むことある時は徹底した掃除を心掛けてみてくださいな。不思議と悩みが消え去るものです。二月は「逃げる月」。もう間もなく弥生三月を迎えようとしています。お体に気を付けて、元気にお過ごしください。友峰和尚より
「寺の原点はカフェにあり」と題して、東大卒の青年僧侶・松本圭介氏がウェブサイトで講演の動画をアップされていますが、皆様もいちど是非「寺カフェ」で検索して、その動画をご覧になって頂きたいと思います。和尚の目指す「寺カフェ」も、寺院として本来あるべく、開かれたコミュニティの場の提供です。間もなく寶勝寺の「寺カフェ」が再開されますが、本堂の「癒し空間」の中で存分に歓談して頂きたいと願っています。誰もいない空間を「がらんとした」と言いますが、皮肉にもこの言葉は寺院の「伽藍」から来ているわけで、人気のない空間こそあらゆる可能性を秘めた場所でもあります。坐禅有り、写経有り、ギャラリーあり、お茶席有り、説法有り、書道有り、ライブ有り、お食事有り、等等。その昔、お寺ではお風呂に入って、説法を聞いて、お昼寝して、お食事して帰られたそうですよ。今で言う「レジャー・スパ」でしょうか。近年、アメリカで話題になっている「マインドフルネス」や、ヨガなども、「坐禅」に通じる瞑想方法としていいですね。また、お寺の大切な仕事として「カウンセラー」の役目もあります。さて、お寺は人の集まる所。昨日は大安禅寺檀信徒の大草健司さんご一家が来られました。
東京在住のご子息・貴博さんがフィアンセの直さんと共に御挨拶に来られました。本当に嬉しいですね! お家の出来事の喜怒哀楽は、住職の喜怒哀楽でもありますね。「万民和楽」の楽しいひと時でした。今日も一日お元気にお過ごしください。友峰和尚より
昨日の続きで、人生の「終活」の準備ですが、葬儀式の最後に弔電を読み上げますが、これほど電子機器の発達した時代ですから、弔電の後には、故人が生前に収録しておいた参列者への感謝の動画付メッセージなど放映すると良いのではないかと思いますね。また遺言として、自分の葬儀はこうして欲しいなどの希望動画を収録しておくのも一つの方法かと思います。これまでのような短い人生時代とは違って、長寿社会ゆえに、兎にも角にも「自分の事は自分で演出し終わる」ことが大切なように思いました。さて、一夜明けて今日は、妻が自坊の大安禅寺で教えているお茶席に招かれました。

生徒さんは檀信徒の元美人の奥様方です。和尚にとって久しぶりのお茶席でした。ゆったりとした時が流れて行きます。「忙中に閑あり」です。利休居士の心が伝わって来るような味わい深いひとときを過ごすことが出来たようです。友峰和尚より
先代住職・東慶和尚津葬の儀(告別の儀)が滋賀県東近江市、齢仙寺様にて本日執り行われ、和尚は滋賀北陸教区宗務所長として出席しました。齢仙寺様の現住職は、和尚の大学時代の親友です。各本山の老師様はじめ教区内は勿論、全国から多くの僧侶の出席のもと厳粛な葬儀が執行されました。
94歳での旅立ちでしたが、生前には今で言うところの「終活」をすべて自分で済ませておられたとの事。式次第の何処までがそうかは存じませんが、素晴らしいお葬儀でした。うん、そうですね。和尚もこの頃、ふと思う時が有ります。自分の最期の式をどのように成すべきか! そんなことは副住職に任せておけばいいというわけにも行かない超高齢化社会。本日のお葬儀を通して学ぶべきものが沢山ありました。一番に思ったのは、焼香に来てくださっている多くの方々への「感謝のおもてなし」の仕方でした。成るほど! 超高齢化社会を迎える中でのお葬儀は、生前にお世話になったことへのお礼と感謝を込めた葬儀儀式へと変わって行くであろうと思ったものです。
さて、皆様はどのように思われますでしょうか? まだ考えるには早い!ですか? 「備えあれば憂いなし」だと思いますよ。「南無観世音菩薩」 友峰和尚より

































