和尚のちょっといい話
友峰和尚のちょっといい話 【 第305話 】
2014年 06月 18日 談
先日、「寺町寺院群を巡る会」が開催され、寶勝寺の歴史説明にあわせて法話もさせて頂きましたが、これは今回の第一期本堂修復工事完了に合わせて開催されたわけで、多くの地元市民の方に公開できた事を喜んでいます。今後、工事は二期、三期と続けられていきますが、その都度、今回のようなフォーラムの開催を望んでいます。地元市民の会は今回が2度目の開催でしたが、広く皆様に卑山を知ってもらいたいと願っています。
現在もすこしずつ修復工事が進められていて、縁側の引き戸を防火対策用の古風な全面ガラス張りサッシに替え、坪庭が全体的に見えるようになりました。本来なら木造の戸がいいのですが、近年は防火対策が法律で義務付けられている為、やむなくアルミサッシとなりました。全面がガラス張りの為にお部屋も明るくなり、景観も一変しました。ぜひ皆様にはお庭の見えるお部屋で、ゆっくりお茶と親しんで頂きたいものです。
街なかのお寺ですから少しでも心を和ませて頂きたいと、妻が日々、ガーデニングに力を注いでいます。山門入り口から寺を取り巻く境内全体に、四季折々の草花や木々を植えています。このことも大切な布教活動の一環として、住職としてありがたく感じています。般若心経の「眼、耳、鼻、舌、身、意」そのままに、お寺へのご参拝が「心の安心」を生み出す契機となって行く事と思います。「色即是空」とは余りにも有名な禅語です。”心はかたちを作り、かたちに心は寄り添う”とも言われますように、どちらも一体ですね。
今、自坊の大安禅寺はすっぽりと花に包まれています。その風景は”無一物中無尽蔵、花あり、月あり、楼台あり!” 言葉を失う感があります。素晴らしい自然の中に、心を込めて育てた草花!その姿こそが、御仏の慈悲の姿そのものです。
満開を迎えた花菖蒲園、何処までも何処までも安らいでいるようです。
さて、皆様、今がグッドタイミングです。今度の日曜日には野口翠智社中の皆さんによる文房流晴心会御煎茶の席が催されます。また同時に、生け花も披露されます。
是非いらして下さいますよう、和尚も心からお待ち申し上げております。
和尚と一緒に「お茶しましょう!」 友峰和尚より
大安禅寺と寳勝寺のホームページ&システム管理をして下さっている増田さまです。
友峰和尚のちょっといい話 【 第304話 】
2014年 06月 17日 談
鵺
夜の鳥と書いて 「 鵺 (ヌエ)」 と読みますが、別名、トラツグミのことです。
ずいぶん昔の話ですが、深夜に本堂で坐禅をしていると、「ピー、ピー、」と、長く尾を引くような鳴き声が一晩中聞こえてくるので不思議に思い、当時出演していたラジオ番組「今日の一言」でそのことを話しましたら、直ぐにリスナーの方からお電話を頂き、その鳴き声の主が鵺であることを知った次第です。実に異様で、真っ暗な闇の中で不気味にこだまする声に最初は馴染みませんでしたが、野鳥図鑑で調べてみると、なるほどトラ模様の実に綺麗な鳥で、鳴き声とは全く違った印象を抱いたものです。それ以来、春先から夏にかけて、深夜にこの鳴き声を聞きますとなんとも親しみを感じますから、不思議なものです。「幽霊の 正体見たり 枯れ尾花」 なんて一句がありましたが、真に恥ずかしい話で、お電話を頂かなかったら永久にその鳥の姿を知る事は無かったことと思います。お知らせくださったのは「福井県野鳥の会」の方で、世の中には本当に詳しい人がおられるものだと感心した次第です。
そのトラツグミが、今も毎晩鳴いています。「知らぬが仏」という言葉もありますが、和尚にとっては「知ってこその仏」だった思い出です。
相手を理解もしないうちに相手に怯えるようなものですね。
三光鳥(さんこうちょう)
あかしょうびん
何事も何事も、相手を良く知ってからその人となりを受け止めていかねば成らないと改めて悟るところです。今まで嫌いだと思っていた人が、付き合ってみると意外とぴったり、自分と相性が良いということがしばしばありますね。相手を良く知ってあげるのも、「心の安心」につながる大切なことであると、トラツグミの声を聞き昔の出来事を思い出しつつ思ったものです。
今、沢山の鳥が境内に来ています。
人の賑わいの中で、鳥たちもまた共に楽しんでいるようです。友峰和尚より
友峰和尚のちょっといい話 【 第303話 】
2014年 06月 16日 談
爽やかなお天気が続いています。
今日も大安禅寺・花菖蒲祭は、朝から多くの拝観者で賑わいを見せています。いつも思うのですが、この時期は梅雨なので天候を心配するのですが、どういう理由か、毎年見頃の時期には穏やかな晴天が続いており、本当に天地神仏に感謝しています。ご夫婦連れや家族連れなど、楽しそうに花菖蒲を鑑賞されている姿を見ていますと嬉しくなってしまいます。
三十一年もの長き歳月、園内を整備してきたわけですが、流石に来年の計画すら立てられない健康状況です。なんとか次回も見事な花を咲かせたいと思いますと、今から健康管理に重点を置いて臨まなければなりません。最近になって、和尚はストレッチを始めました。ウオーキングとあわせて入念に身体の筋肉をほぐすのですが、驚いたことに、以前は前屈など平気だったのに今ではカチカチで、これでは如何ともしがたいと自覚しました。知らず知らずのうちに老化現象が進んでいるようです。
「今までは 人の事やと思うたが 俺が死ぬとは こいつあたまらん」 クワバラクワバラですね。
自分の体は自分で管理する!当たり前のことながら、自覚が足らなかったようです。
岐阜県美濃市 長蔵寺様からお送り頂きました さくらんぼ
この時期、多くの縁者の皆様から色々な御品を送って来てくださいます。
きっと和尚も疲れているだろうと気遣って下さっての贈り物ですが、大変嬉しいのは、自分で栽培された農作物を送ってくださることです。
魚津市 石川雅朗様・御奥様からお送り頂きました自家製野菜
丹精込めて作られたお野菜です!実に心のこもった贈り物です。きゅうりにさやえんどう、採れたての野菜をさっそく仏様にお供えしましょう。
先客万来、ご縁のありがたさを身を以て感じた今日の一日でした。 友峰和尚より
海清寺僧堂時代の友人、大谷茂義様ご夫妻が御来山下さいました。
大安禅寺御用達・小森庭園の末政幸憲様ご一行様です。
松浦建設㈱の吉田専務さまです。
友峰和尚のちょっといい話 【 第302話 】
2014年 06月 15日 談
残念、無念!初戦敗退!
でもね、日本全体での応援が不足していると思います。
次戦は本当に応援頂きたいと念じます。
ワールドカップの戦いさながらに、和尚もハードな日々です。昨日は寶勝寺にて”地域フォーラム「寺町寺院群を巡る会」”があり、お寺の案内と法話をしました。70名近い方が参加されての会でしたが、終了と同時に和尚は福井へ発ち、夜には大安禅寺で開催された”大安寺地区主催・「エコキャンドルの夕べ」”のイベントでの挨拶に臨みました。
大変ハードですが、しかし心は本当に喜びの中にあります。金沢の寺も福井の寺も、多くの人が集まっています。人の集まるところでなくては、お寺は存在意義を失うからです。
そもそも「寺」の意味は、”安らぐ、憩う、ゆっくりする”で、これをサンスクリット語で”ビハ-ラ”と言うことは以前、ブログでお話しました。もう覚えていないかも?かかる意味において、今、多くの人々が大安禅寺花菖蒲祭に来てくださることは、主催者としてなにより感謝の一念です。この時期、全国から和尚を訪ねて来て下さることはありがたしありがたし。世の中に大切なものは沢山有りますが、やはり、人の心ほど嬉しいものは有りませんね。今日の出会いのために、人間、努力を続けているのかもしれません。
地元の後輩とともに
今日は早朝より花菖蒲園の整備をしましたが、お花の皆さんに「有り難う!」って和尚は声をかけます。花心とは自分の心でもあるので、丁寧に声をかけます。早朝どなたかが花菖蒲園に来ていて、もし和尚のつぶやきを聞かれたらきっと?変な人?に見えると思います。そのつぶやきこそ、和尚の期待に応えてくれるお花達です。和尚は一人で生きているわけでは有りません。凡そ自分以外はすべてが自分を支えてくれている存在だと感じています。和尚のブログを読んでくださっている皆様、何もかもが自分の心に寄り添い花を咲かせていく事を念じてください。
花菖蒲の寺・大安禅寺!いま大きく転換しようとしているようです。わが妻の並々ならぬ力のこもったバラ園。何事もやってやれない事などありません。来年はきっときっと家内の心の薔薇が見事に開花する事と思います。老骨に鞭打つ!その通りです。負けたらあかん!負けたらあかん!身体の動くうちは粉骨砕身して努力すべし。人生は出会い旅なのですから、多くの人と出会いながら更に向上の一路です。
本日、中川家のご法事の席でも申し上げましたが、祖先の恩、父母の恩に深く感謝の敬意を捧げることが、末代まで家運隆盛を極める根本の真心であることを切に思う今日この頃です。
さてホームページが新しくなりました。
今後は動画を含めて音声も入れたいと思います。皆さま、今満開となっている菖蒲園にいつ来るのですか? 「今でしょう!!」
今という 今こそ今が 大事なり 大事の今が 生涯の今。
どうぞ皆様のお越しをお待ちしています。 友峰和尚より
友峰和尚のちょっといい話 【 第301話 】
2014年 06月 14日 談
新しいホームページで、新たなる出発です!
瓢箪木の実 / 寳勝寺の中庭
「何にも思わぬは仏の稽古なり。」
こんなシンプルな回答が、悟りの当体です。
振り返ってみるに、何にも思わぬ日など一日として有りません。日々考え、思い、悩む毎日です。誰しもが自分の今置かれている心情を他人に解って欲しい、理解して欲しいと願うものなのですが、残念ながらそれは成し得ない事であって、たとえ相手が解ってくれたと承知したにしても、それは頭の中での想像でしかありません。そもそも、どんなに辛く苦労の人生であっても、その心の本体など何処にも証明出来る実体が無いからですね。要するに、元々「心の本体」など何処にも存在しないのですから、当事者のみが知る世界なのです。仏教がいつしか哲学的宗教性を帯びて、大衆からは遠く離れたものになってしまっている現状が有ります。仏教の根幹は「”無心”に徹底して日々の生活を過ごして行く事が安心の道である」という事につきます。あまりにも簡潔明瞭故にかえって分かりにくいのかもしれませんね。須く実地体験を要する世界が、心の世界だからですね。相手の悩み苦しみを解ってあげたところで、それは同情でしかありません。なにもかもが「自分で解決するしか無い」とわかることが悟りでも有りますから、 本当に、心ほどややこしいものは他に有りませんね。
「ありと見て 無きこそ元の姿なれ とは言うものの 濡るる袖かな」です。
どくだみの花 / 庫裏の石垣にて
和尚も、現在本山に関する役職の中に有って、つくづく組織社会の矛盾を思い知らされます。一人で居ればなんでも無いことも、其れが人間社会の組織となりますと、実に悲喜こもごもとなって行きます。隠遁したり出家したりする事が現実的でない一般人にあっては尚更の事だと痛感するものです。
いつの時代に有っても究極、自分が自分きりになって歩んで行く事が一番確実な道のようです。 友峰和尚より