和尚のちょっといい話
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金沢市本多町・瑞光寺にて 盂蘭盆会法要のようす
台風の影響からか気温がぐんぐん上がり午後には真夏日となりましたが、その暑さのなか、今日は本多町・瑞光寺で午前10時半より盂蘭盆会の法要が厳修されました。明日は野町・少林寺、明後日が寶勝寺で、同じく午前10時半より盂蘭盆会法要が執り行われる予定となっていますが、ここに来ての急激な気温の変化に身体がついていけず、流石に和尚も明日からは「緊張の夏!!」と言ったところでしょうか。そもそも今朝方は肌寒さで目が覚めたものだと言うのに、本当にこのところの天候は異常気象としか思えませんね。
檀信徒様、ご家族皆様のご参列を賜りました。
住職による法話
照りつける日差しの中、お墓参りをしました。
先代住職様の墓前でのお参り
さて、夕刻には少林寺にて盂蘭盆会準備をしましたが、明日の法要には寺町の桂岩寺様がご加担下さることになっており、今日はご住職とともに明日の法要に向けてのリハーサルをしました。汗だくのリハーサルながら御堂に響き渡る読経の声は僧侶の自分でさえ有り難く感じるものです。少林寺前住職の奥様も我々のリハーサルの様子をじっと聞き入ってくださっていました。サンスクリット語の「ウランバーナ」が「盂蘭盆(うらぼん)」に音写され、やがてお盆に変化、その意味は「倒見」=「逆さまにものを見る」の意ながら、それでもその意味を理解するのは困難ですね。簡単に言えば「あるがままの心こそ本来の姿なのである」、それでも難解なれば、「有難うお蔭様のこころこそ、本来の心」。これなら、だれでも理解できますね。お盆の祖先供養は感謝の心を捧げる仏教行事です。祖先の恩と父母の恩に感謝しながらの御供養が続きます。友峰和尚より
瞬間移動が出来るのならともかくも、多くの荷物があるとそういう訳にもいかず、金沢と福井の往復にはワゴン車が幅を利かせます。「積んで積んでまた積んで」車いっぱいに荷物を積んでの移動ですが、今回は妻が育てた「日中友好の朝顔」第2弾ということで、発芽時期をずらして育てた苗鉢を持ってきました。先発で寳勝寺に届けられた苗は、すでにぐんぐん大きく成長していました。時期をずらして発芽させる理由は長く長く朝顔の花を観賞してもらう為で、さらにもう一回、種を植えて遅咲きの苗を作るつもりです。
明日からは盆施餓鬼会が始まる為、寶勝寺到着と同時に霊園の掃除に掛かりましたが、限られた時間内での整備ですから大安禅寺から持ち込んだ機械をフルに活用しての掃除となりました。
いやはや文明の力のおかげですよ! 高速道路を使っての車の移動も、物を運ぶワゴン車も、草を刈る機械も、何もかもが文明の力のおかげです。そんなに時間を圧縮してまでやらねばならない事なのかとお人様に問われそうですが、和尚の人生はなぜかいつもそうなんです。「なんでそう~なるの!」って、欽ちゃんにまで言われてしまいそうです。
ともかくも時間との戦いのなか、明日は本多町・瑞光寺で盂蘭盆会を行う予定です。和尚の身体はひとつしかないからこその踏ん張りです。それにしても、福井を出る頃は雨だったのが、金沢に着いて掃除を始める頃には晴れ模様となるとは? やはり、目に見えない大いなる存在が和尚の行動に合わせているとしか思えません。皆様、間もなくお盆です、御先祖の墓掃除と墓参をお忘れの無いように願います。友峰和尚より
北陸新幹線金沢駅では有りませんよ。久しぶりに休息日をとって妻の実家のある大阪へ娘夫婦と孫達を訪ねましたが、楽しい時間も束の間で、帰路の道中はひたすら妻の背中を追いながら人の波間をすり抜けながらの歩行、田舎者の和尚にとっては疲労感に追い打ちをかけるばかりで、休息が窮息になったと、大阪駅でまず一服!
それにしても、JR大阪駅は見事に変身したものです。和尚は長く関西に縁を得ていたため大阪駅は幾度も利用しましたが、大都市に相応しい国際駅になっているのには驚きました。福井駅も、7年後には北陸新幹線が開業となるとか。オシャレな福井駅になることを期待したいですね。電車に乗ってから福井駅に着くまでの2時間余りが大休息となりました。
人・人・人の大都会。やはり、時々は大都市に足を運んでみるべきだと思いました。多くの人達を見つめながら、和尚もまだまだと更なる努力を心に念じました。山中に有るのも風情なら、大都会もまた風情有りですね。休息を終えて、明日からは御盆供養に精進して参りたく思っています。友峰和尚より
残念ながら銀メダルと成りましたナデシコJAPAN、とはいえ素晴らしい闘いだったと和尚は思います。世界を相手に闘い、しかも銀メダル獲得なんてあり得ない成績だと思います。確かに、金メダルと銀メダルではその重みが全く違うと選手たちが口々に言うのもわからないでは有りませんが、11名で戦うグループ競技ともなりますと、選手たちそれぞれのコンディションも試合に影響すると思いますから、簡単なものじゃ無いですね。兎に角、立派な闘いでした。そして一夜開けて、何事も無かったような静かな朝を迎えました。世界中のさまざまな事象がテレビのニュースで伝えられていましたが、スイッチを切れば途端にまた静寂の世界が戻って来ます。「安閑無事」なる禅語がありますが本当に、心のスイッチが肝心要、必要不可欠な現代社会。これからの社会を生き抜く為には、「心のスイッチ」の素早い切り替えがキーワードになっていくようです。
さて、久しぶりの休息日。孫たちと戯れる時間は心地よいものですね。無邪気な心が一番です! 今日は七夕、雨模様の一日となりましたが、御先祖様のお迎えの支度だけはキチンとしたいものです。和尚にとって、この月は多くの御霊様とのスペシャルタイムの毎日です。友峰和尚より
元自民党幹部 全日本司厨士協会名誉総裁 武部 勤様・凉子様ご夫妻 / 大安禅寺 愈好亭にて
「全日本司厨士協会北陸地方本部・慰霊塔建立20周年記念物故者法要」が午前11時半より厳修されました。法要に先立ち、卑山・愈好亭にて、名誉総裁の武部勤様ご夫妻はじめ会長の宇都宮久俊様、役員の皆様との懇親のお茶席を設けましたが、今日の日和のように和やかな席と成りました。
月日の過ぎ行くのは本当に早いものです。世話人代表の加藤祥師様・黒味傳様が、「大安禅寺に物故者の慰霊塔を立てたい」とのことで来山されてから早や20年の歳月が流れました。その間、多くの司厨に携わる会員方々が他界され、慰霊塔に祀られて来ました。
物故者法要の様子 / 大安禅寺 本堂にて
慰霊塔に向かって参拝されているようす
毎年開催される物故者法要を通して亡くなられた御霊に感謝の真を捧げて参りましたが、本当に大切なことだと思います。先人の御徳を讃えてこその、今日の日本に於ける食文化の発展だと和尚は思います。雨上がりの静かな佇まいの境内にご法養の香の匂いが立ち込め、大いなる安らぎを感じ取ったものでした。
さて、目まぐるしく日々の法務が遂行されていきます。明日は七夕ですね。お盆の入りでも有りますので、どうか皆様、御先祖様へのご供養のお供物を願います。「霊」は「礼」でもあります。感謝の気持ちで過ごして参りたいものです。友峰和尚より
片岡球子先生のデッサン 父と母、母の妹
7月に入ってからも、「花菖蒲祭」の余韻によってか参拝に来られる方が続いています。今朝方は午前9時より、NHK・Eテレの「日曜美術館」で女流画家・片岡球子が特集されましたが、先般卑山にて収録された「南蛮船図屏風」なども紹介され、今から60年前、先生が大安禅寺に来られ、その屏風絵を模写された時のエピソードなどを交えての内容でした。
第40回 院展 「静寂」 / 大安禅寺・書院から白蓮を臨む
デッサン 寺宝の茶道具
久しぶりに和尚も当時の先生の姿を偲び、懐かしく思いました。人それぞれ、人との出会いがその後の人生に大きく影響すると言われますが、少なからず、当時子供だった和尚も先生の絵を描く姿に大きな感動を得たに違いないと思いました。素晴らしい内容の番組と共に、先生の画家としての真剣な生きざまを垣間見たものでした。同じように茶華道を究めようと尽力されている野口美智子先生が、卑山に滞在中のグリフィス教授を訪ねて来られ、昨日に引き続いての楽しいティパーティとなりました。
ご歓談中のようす
「忙中閑有り」で、身も心もゆっくりできた休日と成りました。ところでこの時期、何処からともなく入ってきた一匹の虫が室内を飛び回る音に、無性に子供の頃を思い出すものです。虫や鳥の啼き声が郷愁を感じさせてくれるのは、昔も今も変わらぬ寺の情景だからかもしれませんね。 人間、ほっとするのは他愛無い事象の中に有ることを感じとる昨今です。友峰和尚より
法務遂行の為に大安禅寺に戻りましたが、午後からは文房流晴心会の野口翠智先生からご招待を頂き、昨晩ニューヨークから来日されたグリフィス教授と共に「花菖蒲祭華展終了・野口社中慰労ティーパーティ」に出席しました。
野口先生との御縁を頂いてちょうど40年になりますが、この間、卑山でのイベントをはじめ和尚の個展の際にも大変お世話になってきました。社中の皆様も同じく、どのお弟子さんとも約30年以上のご厚誼を頂いており、和気あいあいの楽しい時間をすごさせて頂きました。同席されたグリフィス教授は昨晩日本に到着したばかりで、時差ボケの症状を押しての参加でしたが、昨年のニューヨーク州・サラローレンス大学での個展開催以来、久しぶりの再会ということで大変に喜ばれていました。
パーティ終了後には、野口先生より御自宅へのお誘いがあり教授とお伺いしましたが、先生がお煎茶を御馳走してくださり大満足の時間を頂いたものです。なにしろ大先生自ら御手入れのお煎茶ですから、その味は言うまで有りませんね。
整然として清楚な空気感の漂うお茶室での一煎でした。ご主人とも40年のお付き合いですが、和やかなひとときでした。人との出会いほど、人生にとって奇なるものは有りません。不思議なご縁を得て、40年間、変わらぬ交友を続けて来られたことに感謝しつつ帰山致しました。
さて、明日は午前9時より、NHKのEテレ「日曜美術館」の番組の中で数分間、片岡球子先生と大安禅寺の関係が紹介されますので是非ともご覧頂ければと思います。このことも不思議なご縁でした。どうぞお見逃しなく!! 友峰和尚より
金沢市・泉小学校の6年生が来山されました
今日の午前中は、地元の小学校から6年生が「寺カフェ」の取材に来られ、和尚にとって楽しい時間を過ごすことができました。生徒からの質問のテーマは主に「寺カフェについて」ということでしたが、実際に、生徒の代表者数名に御抹茶や金沢銘菓を体験してもらいながら、宝勝寺の歴史を取り混ぜつつの説明となりました。
元気いっぱい、和尚に質問する子供たち
「寺カフェの一番人気メニューは何ですか?」など質問はどれも子供らしいものばかりで、和尚も丁寧に説明しましたが、子供達にはなかなかの人気でした。
お抹茶体験の様子を、熱心に写真撮影する生徒たち
「和尚さん、写真撮らせてください!」と、子供達からのパワーをもらいました。
「寺本来の姿は、今日、皆さんがこの寺に来てくれたように、誰もが気軽にお寺に来られるようにカフェを開き、子供さん用メニューもたくさん用意してありますよ!」と説明したときには、生徒たちも本当に嬉しそうでした。目を輝せながらメモを取る姿は「観音様」の姿そのものでしたね。お寺に縁を持つ機会の少ない子供達です。和尚は大学生時代、児童教化研究部に所属していましたが、近くの寺院を借りて子供たちの日曜学校を開いていた時のことを思い出しました。これからも積極的に、学校の自由学習に協力して行きたいと思っています。
子供たちが帰るのと時を同じくして、小立野公民館の高齢者の方々が来られ、こちらも寺院の歴史案内をさせて頂きました。
地元の方々が寶勝寺を活用して下さることは嬉しい限りです。子供達の生き生きとした笑顔と、高齢者皆様のゆったりとした姿が印象的だった、素晴らしい一日と成りました。友峰和尚より
7月7日は七夕祭りですが、これまでにも何度も何度もお話しして来ましたように、古来インドでは7月7日がお盆の入りで、昔、日本ではどこの御家も縁側に精霊棚を作り、五色の旗を立てて御先祖の霊をお迎えしたところから「棚旗」となったと言われています。15日がお盆の正日で、その間は毎日お供え物をして丁寧に祖先の霊をお迎えしたそうですが、各寺院では現在でも本堂に施餓鬼棚を設けて、御盆供養が続けられています。
今日は、卑山・寳勝寺の玄関入口に七夕飾りが登場し、寺カフェ利用のお客様をお迎えしていました。五色の短冊には皆様も色々なお願い事を書くと思いますが、元来はお願い事では無く、先祖への感謝の言葉を書いたとも言われています。そもそも昔は人生約40年と短命で、しかも日々、国盗り戦争が絶えない時代。庶民は只ひたすら御先祖様に感謝の念を捧げる事により、家の安泰と長寿を願ったに違い有りません。今日の長寿社会からは想像もつかないほど厳しい社会背景の中での「祖霊供養」が「棚旗祭り」だったと想像します。
志納所に、夏の風物詩「団扇」の墨蹟が登場
今では綾小路きみまろさんの「ぴんぴんころり」なる歌が発売されるほどの長寿社会。「仏」はますます「ホットケ」になって行くようです。しかしながら「ぴんぴんころり」とはまるでキンチョールの宣伝のようですね。今や「直葬時代」、人間もまもなく「安楽死時代」を迎えるのかも知れませんよ。7月7日はお盆の入りです。皆様、お仏壇をお掃除し、御先祖様の好物だったものをお供えして感謝の言葉を捧げましょう。「南無観世音菩薩」友峰和尚より
清風竹林に在り
「浴衣の君は ススキのかんざし・・・・」吉田拓郎さんの「旅の宿」の歌詞では有りませんが、午後の寶勝寺カフェに素敵なお嬢様お二人が浴衣を着てやって来ました。御一人は日本の女性、もう一人の方はロシア人の女性でした。
7月11日土曜日、午前9時半から放送予定の金沢HAB放送局の番組「土曜はドキドキ」の収録撮影が卑山で行われました。昨夜からの雨も午後には上がり、清々しい風が吹く中でのロケとなりましたが、撮影中にも何組かの寺カフェ利用のお客様が来られ楽しい雰囲気の中で進められました。金沢・福井・富山と来る11日に放映されるそうですから、是非ご覧ください。和尚も僅かな時間ながら登場しますよ!
アナウンサーの金子美奈さんとともに
地元メディアによる取材は本当に有り難く思っています。最近では近くから寺カフェを訪ね下さる奥様方も多くなり、感謝しています。和尚の金沢寺院における活動はまだ始まったばかりですが、少しずつ実を結びつつあるようです。
楽しい対談となりました
その後、一服する間もなく本寺から頼まれた色紙書きをしましたが、筆を持つ指に力が入らないというジレンマに襲われながらの宿題に挑みました。あえなくダウン!? こんな時もあると以後は休息となりました。手足を大の字に伸ばしてゴロリンゴロゴロダラダラゴロゴロ・・・。和尚は身長が181センチ有る為か、足指を動かすまでの時間がかかっているような妙な感覚、これも歳のせいかな? ふと吉田拓郎さんの「旅の宿」の歌詞の続きを口ずさんだものでした。「熱燗と徳利の首つまんで もう一杯如何なんて 妙に色っぽいね」なんてね、「妄想三昧」の休息日となりました。友峰和尚より