和尚のちょっといい話
快晴の一日となりましたが、皆様には爽やかにお元気にお過ごしでしょうか? 今日のようなお天気は一年を通してもそんなに多くないと思いますが、日曜日ということも有ってのんびりと過ごすことが出来ました。午前中には、日頃から御厚誼頂いている岡島様が北陸三十三観音霊場を満願成就されたということで、霊場御朱印の掛軸を持参され、早速に満願成就の御祈祷をさせて頂きました。近年では再び全国の有名な霊場巡りがブームになっているとか。特に若い女子の皆さんには御朱印帳が人気で、別名「ご朱印女子」と呼ばれているそうです。
写真の如く、霊場の札所ごとに御本尊佛の名号が中央に記され、お参りされた事の証明と成ります。本来は各寺院に納経(写経を奉納)された記しとして御札(おふだ)を頂いたそうですが、近年では趣味で集められている方が増えて来ています。困った事に「御朱印札」がネットでオークションにかけられるほどの人気ぶりだとか。札所の各寺院がそれぞれに個性豊かな御朱印札を作成していることもブームに火をつけたようです。大安禅寺の御本尊は正十一面観世音菩薩ですから「大悲閣」または「大悲殿」と御札の中央に記し、右肩には「奉拝」と日付、左肩には各寺院の山号と寺名を記す決まりがあります。インターネットで「御朱印」と検索すると、全国の有名な札所の朱印を見る事が出来ますのでお試しください。
大安禅寺 の 御朱印
岡島様とともに / 大安禅寺 応接室にて
小林様御夫婦とともに
夕刻には金曜坐禅会員の小林永尚さんがご夫婦で来られました。先般御子息にご長男が誕生した際、和尚が命名書を墨書したことの御礼でした。小林さんは腕利きの大工師で、副住職との親交を深めている方です。子供の成長を心から願った穏やかな一日となったようです。友峰和尚より
イタリアからの観光客に対する坐禅参籠修練2日目は早朝5時半起床で始まり、朝課(朝のお勤め)、坐禅、粥座(朝食)、写経、拝観の順で修練が行われ、午前9時に散会となりました。今回で3度目だそうですが、ツアーリーダーのマルコさんは禅宗に大変造詣が深く、この秋にも次のツアーが予定されています。
粥坐 しゅくざ (朝食)
写経体験
テレビでも紹介されているように、最近は外国人観光客の「寺泊」が人気だそうで、京都大本山妙心寺塔頭寺院でも受け入れています。和尚の兼務寺院先である金沢の各寺も、無住寺院対策の一つの手段として国外観光客の方々への「寺泊」を奨励し、禅寺での修行体験コースを考えています。とにかく現在、各宗派で問題になっている寺院後継者不足は深刻な状況下に有り、一刻も早い対策が求められているようです。
寺内拝観 と 和尚が法鼓を打つようす
和尚の法務が毎日変化していきますが、どの仕事も油断出来ない緊張状態が続いていきます。それもこれもこれから始まろうとしている、大安禅寺諸堂大修復工事の為の準備でも有ります。我が国の文化遺産でも有る重要建造物の保存継承の為に全力を投球する日々が続きます。本日は本当に穏やかな日和となり、修練明けで心地よい気分の上に、天候がさらに心地を良くしてくれました。「気楽に 気さくに 気分良く」そんな一日となったようです。友峰和尚より
イタヤモミジ / 傳燈寺境内にて
お天気が良いと家の中に居るのが「もったいなく」思うのは和尚だけでしょうか? 午前中は昨日に引き続き兼務住職先の傳燈寺に出向き、昨日から始まった参道整備工事と池の泥上げ作業の進捗状況を視察しました。傳燈寺の参道は本来石の階段ですが、車道として作られている脇道の幅があまりにも狭いため、車が転回できるように道幅を広げています。また弁財天洞窟の前の池も泥で埋まっており、湿気が寺内に及ぶのを防ぐために泥を排除する作業も行っています。時間の合間をみて書院や玄関の掃除をして寳勝寺に戻りました。
傳燈寺参道脇の車道 と 車道拡張工事
池の泥上げ作業
本堂正面玄関 と 庫裏玄関の掃除
傳燈寺を取り巻く環境は大安禅寺に似て静寂そのもので大変気に入っています。和尚は山の中で暮らして来たためか、寳勝寺のような街での生活にあまり馴染まず、今後は傳燈寺に法務拠点を移したいと思うくらいです。
伝燈寺町の田園風景
さてゆっくりも出来ず、本日は夕刻大安禅寺でイタリアからのお客様を迎える為、一路福井に戻りました。最近は日本の禅寺での一泊体験が外国人の方々に人気があるらしく、卑山での参籠修練も今回で3度目だそうです。本日は15名のイタリア人観光客の方々が参籠修練カリキュラムに随って坐禅・読経・掃除・写経等の禅体験に挑みます。
午後より 参籠修練開講式のようす / 大安禅寺 枯木堂にて
薬石(夕食)のようす / 大安禅寺 書院にて
特に早朝の読経や精進料理は人気があるようで、今後も引き続き参籠修練コースで計画したいとの事でした。大安禅寺も国際色豊かな様相を見せ始めて来たようです。今では「禅」は世界中に広まっている為、ますます人気が出てくる感が有ります。和尚もイタリア語でお迎えしましょう!「Hi-there」「comebva!」ピコ! 友峰和尚より
早朝より行われた 傳燈寺参道整備工事 地鎮祈祷
「人生とは川の流れのようなものである」とは昨日のブログで書いたことですが、今日は兼務寺院・傳燈寺の参道整備工事と杉の立ち枯れ伐採並びに池の泥上げ作業の現場視察をし、つくづく納得したものでした。
中庭ならびに境内の枯れ木伐採 御供養のようす
じっとしていても何も始まりまらないということで日々、東奔西走しながら寺院復興の現場に立っています。果たして今、どのような川の流れの中にいるのかと自分自身に問うてみれば、恐らく激流の中に身を置いているのだと自覚します。いわゆる人生最後のサバイバル的状況下に有るのかも知れませんね。すべてが仏縁にしたがっての行動ながら、実に不可思議な体験中であることには違いない様ようです。全ての寺院の復興を終えた折には、皆様に大いに活用して頂きたいと願っています。
さて、本日は寺院会計の厳しい監査を受けましたが、一にも二にも「経理」は寺院運営にとって極めて大切な要素となります。即ち「お経」とは「経糸(たていと)」のことですから、糸が切れないよう、努力あるのみです。
平成28年度末 会計監査のようす
山門前 敷石工事のようす
ひとつひとつ 丁寧な手彫りで形成される乱張り
霊苑の工事現場にて
少しずつ戻し植えられている 寳勝寺の樹々
霊苑内や山門前の敷石工事も順調に進んでいます。こちらも川の流れをイメージしての乱張り施工となっています。工事関係者皆様の人生そのものが石組みと成って一つの美しさを見出しているようでした。友峰和尚より
夕刻、再び傳燈寺へ
この21日にイタリアからの観光客を迎える為、本堂南側の阿吽庭を徹底的に掃除しました。掃除の仕上げは砂庭の砂紋をひく作業ですが、線を引きながら「人生とは川の流れのようなものである」と改めて感じたものです。永平寺開山・道元禅師の詠んだ句に「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり」と有ります。一見自然の風景を詠んでいるようで風流にも聞こえますが、どうしてどうして大変厳しい言葉なのです。
掃除をしながら、ひたすら自然環境そのものが自分の本来の姿であると思うものです。また「心は水の如し」とも言われるように、川の流れの中に人間の一生を見る事が出来るものです。平穏な清流あり、恐ろしい濁流あり、急激な滝あり、前に進めぬ澱みあり、分裂あり、合流あり。大海に望めばやがて蒸発して雲となり雨となると。なればそれらのことを心に於いて「砂紋」を描かねばなりません。
自然を汚すことは自分の心を汚染させるようなものです。季節の移り変わりの中に自分の心を重ね合わせてみれば、平穏無事なる心境の大切さが自然体に自覚できるものです。本日は作業の一つ一つの動作に全身全霊で挑んだ真剣勝負の時間となりました。掃除終了後、福井市内にある結婚式場の会社から記念写真の場所提供を依頼されるという絶妙なタイミングに、答えを見出した大作務となりました。友峰和尚より
一晩中吹き荒れた「春の嵐」でしたが、あまりの暴風に心配になり深夜に外回りをする始末。本当に台風並みの風でした。寺町は高台に位置しているためか、海側から犀川沿いに吹き上がってくる風には本当に驚くばかりで、寳勝寺は両サイドが鉄筋コンクリートのビルのため、山門を吹き抜けていく風を前にしては立っていることも出来ない程です。一夜明けて寺の周りを点検しましたが被害も無くホッとしました。
昨日は「寳勝寺ふれあいパーク」霊苑スタッフとの懇親会が有りましたが、本日も㈱ココ・プランニング中本会長、社長様はじめ霊苑スタッフの方々が立ち寄って下さいました。寳勝寺も7月からの霊苑完成オープンに向けて新しいスタッフを募集していく事になります。完成後は霊苑にお参りくださる多くの方々が寺カフェを利用され故人を偲ぶ場所となる事を願っています。
日々、仕事の内容が変化していく昨今ですが、この時期は花菖蒲園整備の外仕事を和尚の一番の楽しみとしています。身体を動かす事の喜びと、土いじりの楽しみとでも言いましょうか、お花を相手の仕事は子育てに似て開花を楽しみにしながらのワクワクする時間を味わうことが出来ます。寳勝寺にはあまり力仕事が無く、身体全体がこわばっていくのを実感します。「長生きは只働くの他は無し 長るる水の腐らぬを見よ」ですね! またじっとしていては何にも始まらないのも事実です。身体を使い心を大い活かして行きたいものですね。皆様お元気にお過ごしください! 友峰和尚より
寳勝寺 山門前にて
朝方から気温がぐんぐん上がりとうとう25度を超える初夏のような一日となりましたが、皆様お元気にお過ごしでしょうか? JR金沢駅は相変わらず観光客の方々で賑わいを見せていました。全国ニュースにも取り上げられていますが、金沢も海外からの観光客が急増している感じで、大きなリュックを背負ったバックパッカーが多く見かけられました。寳勝寺ふれあいパーク霊苑工事も山門前の石畳整備に入り、本日は㈱ココ・プランニング宮崎デザイナーの現場指導を受けながら新たな段階を迎えています。午後からは式台玄関前における石畳や植栽のレイアウトについて打ち合わせがあり、次第に境内周辺の全容が見え始めて来ています。このところ大安禅寺での法務が多忙で寳勝寺に来るのは久しぶりでしたが、霊苑工事もずいぶん進んでいました。
石張りのデザインについて細かく説明される宮崎氏
式台玄関前の石張りと植栽のバランスを検討中
宮崎デザイナーより 中本会長へ説明されているようす
樹木の剪定が行われました
夕刻からは㈱ココ・プランニング中本会長、社長様より、7月からお世話になる霊苑スタッフの皆様を御紹介頂きました。今回の霊苑改葬工事プロジェクトは次世代を見据えた未来型霊苑で有る為、スタッフも全国からそれぞれの分野の専門の方々が参加しています。昔から「三人寄れば文殊の智恵」と言いますように、お互いに知恵を出し合っての会議がなされています。
㈱ココ・プランニングスタッフの皆様とともに
スタッフの皆様による現場視察
さてこの度の寳勝寺ふれあいパーク霊苑改葬工事は、我々の黄泉の国創造と夢と希望を乗せたプロジェクトでも有ります。人間はいつの世に有っても未来への夢だけは持ち続けていたいものですね。友峰和尚より
大安禅寺に家族動物の納骨供養堂「慈光堂」が出来て約四十年になろうとしています。現在では福井市、鯖江市、金沢市など六ヶ所に納骨供養堂が設置されていますが、いずれも㈱ペット愛葬社が主催しています。四十年前に、現在会長を務めている中村修二氏との出会いから家族動物達の霊供養が始まり、今では多くの方々がお参りされています。
本日は午後三時より卑山で家族動物の供養が行われ、和尚が久しぶりに供養導師を務めました。長年供養を続けていますが、不思議なことに供養が始まる時間になると決まってお天気が良くなるというジンクスがあり、今日も良く晴れました。参拝者も長年ご縁を得ている方々が多く、欠かさずに供養に来られています。大安禅寺の渓谷一帯は特別鳥獣保護区になっている為、早朝よりウグイスを始めとして色々な鳥が美しい声を奏でていました。
住職法話にて
近年は家族動物達の役割が大きくクローズアップされ、特に少子高齢化社会の進む中で独居老人の方々には日々の良き友で有り家族の一員ともなってきているようです。そもそも卑山で家族動物の霊供養を始めたきっかけは、家内の実家が大型犬を含め三匹の犬を飼っていたことに端を発しています。かなり高齢になっていたため最後はどのように葬ってあげようかと心配していた時、中村氏と出会いました。家族動物を丁寧に葬儀と火葬納骨をして下さるという事で、彼の事業に大いに賛同して今日に至っています。卑山の静かな環境の中で眠る家族動物達の安らかならんことを供養した穏やかな一日となりました。友峰和尚より
「和気萬福を生ず」
暖かくて長閑な土曜日の朝を迎えました。境内を取り巻く山々の木々はいっせいに新芽を吹き青々として、美しいのひと言です。午前中にはお檀家様の年忌法要に出掛けましたが、桜吹雪の中、道路がピンク色に染まっていました。和尚のアトリエから望むもみじの新芽も赤子の手を開くかのように初々しく可愛らしく心を和ませてくれます。このところ外作務(そとざむ)の力仕事が続いていたため、午後からは休息を取りました。昨晩は金曜坐禅会で十数名の坐禅会員の方々が参加されましたが、カエルの合唱が境内に響き渡る中での瞑想時間となりました。
「古池や 蛙飛び込む 水の音」とはかの有名な俳人・松尾芭蕉の一句です。坐禅中の法話にこの一句を引用して心の有り様を説きましたが、皆様、この句の中に芭蕉の心境を読み取ることが出来ますでしょうか? なんでもないような一句に聞こえますが、芭蕉の深い心境を現わしています。何度も何度も言葉を吟味して「五・七・五」の17文字の中に芭蕉その人その悟境を現わす一句です。我々を取り巻くすべての音の中にもそれぞれの人生が現れ出でるように、カエルの飛び込む音にさえ「無心無我」の響きを感じ取るものです。この句には次のような言葉が添えられています。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と。身を捨てる事の難しさが我々の世ならば、坐禅は思い切って身を捨て切る手段でも有ります。「なり切る!捨てきる!思いきる」姿が芭蕉の人生を支えていたのかも知れませんね。さて、皆様はこの一句をどのように捉えられますでしょうか!南無さん! 友峰和尚より
このところずいぶんと暖かくなってきました。例年ですと花菖蒲園の整備は5月に入ってから始めますが、今年は2月にイノシシが園内に侵入した為、その事後処理も含めて早めの整備となっています。今日も午前中は苗の補植作業に専念しましたが、日を追うごとに身体全体の動きが鈍くなって行くのを実感し、本当に悔しい!残念!の心境です。
和尚にとっての60年は土いじりの人生そのもので、稲作に端を発し野菜作りや果物作りなども手掛け、花菖蒲園や樹木の植栽など本当にこれまで実に楽しい時間を過ごして来たように思います。されど、それもこれも丈夫な健康体で有ったからこそで、母親には本当に感謝の言葉も有りません。人間本来の資本とはお金ではなく「両手、両足」の四本の事だと和尚は思います。この四本は、手に有っては「掴む、握る、持つ、ひねる、叩く」足に有っては「踏む、歩く、蹴る、坐る」など自由自在の機能を有し実に優れものです。それらを自由自在に使いこなすの命令系統は心でありますが、こちらは今もなお「夢、希望、志」に燃えて健在です。
昨日も園内の整備をしながら、妻との会話の中で「なにが故に一所懸命にお花の世話をするのか?」という素朴な質問に対し、その答えは「見事な花をつけた時に見る一瞬の輝きと心のやすらぎを同時に覚える瞬間である」と。生きがいとは一刹那に感じるのかも知れませんね。本当はもっともっと奥深いところに真実の答えが潜んでいるのかも知れませんが、今はひたすら花のお世話をしています。まだまだこれからも整備が続きますが、身体の動く限り頑張って行きたいものです。友峰和尚より