3月, 2016年
第947話
お彼岸を過ぎた途端、桜の開花宣言がなされましたが、「桜」と聞くだけでも心がホッコリしてくるものです。最近では、外国人向けの日本のガイドブックに必ず「桜のお花見」が載っているらしく、近年の日本観光ブームに乗って多くの外国人旅行者がお花見を目指して来日されているそうで、やはり桜は日本を代表する魅力的な花ということに違いないようです。
犀川沿いの桜 満開の頃の写真 (写真提供:金沢市)
福井市の足羽河原の千本桜が有名ですが、金沢市の犀川沿いや浅野川そして兼六園、金沢城内のソメイヨシノも毎年実に見事な花を咲かせています。寳勝寺は犀川に近いため、この時季は和尚もお花見ウオーキングを楽しみにしています。皆様もお時間が有りましたら是非お花見に来て頂きたいものです。北陸新幹線開業後1年を過ぎましたが金沢の観光ブームはまだまだ続いていて、多くの新しいお店が次々に開店し例年にない観光集客が見込まれているとか。このことだけは「捕らぬ狸の皮算用」ではないようです。
兼六園の夜桜ライトアップのようす (写真提供:金沢市)
さて、今日の午後からは大図目を迎えた「寳勝寺ふれあいパーク霊苑」改葬工事の最終会議がありました。今後は金沢市当局の指導を受けながら更に工事内容などを詰めて、始動したいと思っています。「三人寄れば文殊の知恵」ならば今回の計画は多くの関係者が知恵を出し合って今日に至っている為、きっと素晴らしい霊苑が完成するものと期待しています。墓地の工事はあくまで「ボチボチ」ですね。あわてない、あわてない。「こつこつ」と頑張って参りましょう。友峰和尚より
第946話
式台玄関前の桜 / 寳勝寺
清々しい朝を迎えました。昨日に引き続き本日は金沢市寺町・寳勝寺の彼岸会法要が、多くの檀信徒皆様の参詣のもと厳修されました。寳勝寺の兼務住職を拝命して六年目を迎え、年々、行事に参加される檀信徒様が増えて行きますが、本当にありがたく嬉しい事です。
昨日も言いましたが、供養に参加して一緒にお経を唱える行為は、先祖の霊の供養もさることながら自分自らの心の供養につながっていく大切さでも有ります。自分の供養とは「心の安心」を指すわけですが、言い換えれば命の根源に触れる体験とでも言いましょうか、供養に参加すればするほど自然な形で体得する世界なのだと思います。法要終了後は、檀信徒皆様の食事を交えての懇親の席となりますが、このことも法縁を結ぶ時間となって行くようです。
法要後の法話にて
皆様も、菩提寺の年中行事には大いに参加して頂きたいものです。午後からは本多町の兼務寺・瑞光寺に出向き、個別の彼岸会供養を致しました。檀信徒皆様との交流は実に楽しいものです。さて彼岸会を無事に終えて明日からは通常の法務に戻りますが、一つ一つの年中行事の意味合いを感じ取りながらの法務遂行の為、すでに気持ちは盂蘭盆会の準備に入っています。「暑さ寒さも彼岸まで」、桜の開花が待たれる今日この頃、一気に春本番を迎えて行くようです。友峰和尚より
第945話
平成28年度 大安禅寺涅槃・彼岸会 御詠歌奉納
穏やかな早春の一日となりました。涅槃・彼岸会と知ってか早朝よりしきりに鶯が啼き、その美しい声が境内に響き渡っていました。年中行事ながら何度経験しても深く安心を感じるものです。恐らく参詣されている方々も同じ心境に有るのではないかと思います。
それにしましても、堂内いっぱいに響き渡る僧侶達の唱える読経の力強い声には宇宙との一体感を覚えます。そもそも涅槃の意味は「吹き消す」で、心の迷いや様々の欲望をたちどころに消滅させる事を意味します。それに対して彼岸は、そのような心境に到達させる智慧を言います。今日ぐらいのお経を腹の底から唱えればたちまち、涅槃の境地に至る事間違いなしです。
思うに、何事も一所懸命にその場その場に打ち込んでいく事の大切さでも有ると思います。仏法は至る所に現れているのですが、素直に受け入れる事の出来ない自我に我々はとらわれていきます。法要に参詣することの大切さは、先祖の御霊の供養も大切ながら自分の心の自由や安心を得られる事も重要のように思います。法要終了後には新命副住職による涅槃図の「絵解き法話」が行われましたが、やはり人々の心を諭して行く上で大切な布教の一環だと思ったものです。最後にはお飾りされた涅槃団子が参詣者に配られましたが、それも又、法悦を家々に届けてくれる御利益と感じたものでした。友峰和尚より
新命副住職による 涅槃図の「謎解き法話」
涅槃団子撒きのようす
手作りのお寿司弁当をお配りしました。皆様、たいへんお疲れ様でした。
新たな花との出会いです。
寳勝寺 / 中庭です。
芽吹きの季節がやって参りました。寺カフェのお運び中、今年も芍薬の芽が出て来たかと気になり、中庭を眺めています。
出て来ました。
すると、芍薬の芽の横、岩場の陰に、薄紫の花が咲いていることに気が付きました! 毎年咲いていたのかもしれません。初めての発見です。
なんとも可憐な、高山植物のようです。
さっそくに業務終了後、花の名前を調べてみました。キンポウゲ科イチリンソウ属「菊咲一華」(キクザキイチゲ)という名前とわかりました。早春に咲き、他の植物が若葉を吹く頃には枯れて地下に眠ってしまうそうです。四季折々に沢山の花咲く中庭ですが、春一番の貴重なお花に出会えて、本当に嬉しく思いました。
第944話
「春はあけぼの ようよう白くなりゆく山際 すこし明かりて 紫だちたる雲の細くたなびきたる」 清少納言、枕草子の巻頭の言葉ですがまさしく「おっしゃる通り」で、現在午前6時に朝の梵鐘を撞いていますが、今日はその6時がぴったりの日の出の時刻。曇り空のため残念ながら「紫だちたる雲の細くたなびきたる」との光景は見られなかったものの、晴れた日には描写と全く同じ光景を見ることが出来ます。枕草子は京都で書かれたために福井の山々とは微妙に受ける感覚が異なるかも知れませんが、情景としては今も同じでそれを嬉しく感じるものです。
花団子切りが行われました。
大安禅寺では今尚、朝・昼・晩と、一日に三度「梵鐘」が人の手によって撞かれていますが、それは素晴らしいことだと思います。梵鐘の音色と春の朝日が昇る山々の稜線の風情とのコラボレーションでも有り、そのような環境に住んでいる贅沢さを最近しみじみ感じるものです。いちど皆様、大安禅寺の梵鐘を撞いてみませんか? 梵鐘には「大安禅寺の第一の法器である」と刻印されていますよ。それも開山和尚・大愚宗築禅師の銘文です。四百年前も今も変わらぬ、同じ音色が山々にこだまするのですから、心が和むのも当然です。
小袋や紙袋にいれ、お供えする準備をしているところ
涅槃図の御真前にお供えされた花団子
「心の安らぎ」は、実に身近なところに沢山潜んでいる事を思います。明日は卑山で涅槃・彼岸会が厳修されますが、御釈迦様の御悟りは自然の風景や木々の芽吹き、そして鳥のさえずりや梵鐘の音色の中に現れてくるものです。夕暮れ時に撞く梵鐘もまた素敵です。人生の時間を止めてみて、初めて自覚する世界なのかも知れません。さて今日は、昨日作った涅槃団子切りが行われました。期待していたアンパンマン模様のお団子は見事に失敗でした。
しかしながら職員の皆様は、必死でそれに近い形を探してくれました。なんて優しい心をお持ちの皆様なのでしょうか! 来年こそは頑張って色々作ってみたいと思いました。友峰和尚より
第943話
今日は早朝より毎年恒例の涅槃団子(ねはんだんご)作りに入りました。今年も檀信徒皆様と世話方皆様の懸命の努力で、例年にもまして一段と綺麗な柄のお団子が仕上がったのではと、明日行われる「団子切り」の結果を期待しています。
先般、桂岩寺様(金沢市寺町)の涅槃会にお伺いした折には「アンパンマン図柄」の花団子をお土産に頂いたので、今日はその「アンパンマン団子」作成にチャレンジしてみましたが、色粉が揃わず思うようには出来ませんでした。勿論!金太郎飴づくりが基本となっていますが、米粉は飴と同じようなわけには行かず、「アンパンマン図柄」にするには更なる研究が必要のようです。どのような仕上がりとなったかは、明日、切ってみてのお楽しみと言ったところです。とにかく和気藹藹の内に団子作りを無事終了することが出来ました。
毎年思うのですが、昔ながらの製法で、数百年ものあいだ続けられて来たことを誇りに感じるものです。ただひたすら御釈迦様への報恩と御徳を頂くための行為なのかも知れません。昔も今も檀信徒皆様の手によって続けられて来た「涅槃団子づくり」は今後も継承していって欲しいものです。特に忘れてはならないことは、お団子を作る米粉は今尚「涅槃托鉢(ねはんたくはつ)」によって地域の村々から集められた浄米である事に深い謝徳の念を抱くものです。
創建当初よりの寺宝 「涅槃図」を御開帳 / 大安禅寺 御成の間にて
さて外掃除も大切な行の一つですから、「涅槃彼岸会」までに更に綺麗にしていきたいものです。皆様には手作りの「涅槃団子」を法要終了後にお分けしたいと思いますので、ぜひとも御家族お揃いでお参りくださいね。友峰和尚より
第942話
大安禅寺庫裡にて 涅槃団子づくりが始まりました。
台所方は朝から大賑わいで、涅槃団子の下ごしらえの為に、お檀家さんと職員さんそして孫も加わっての米粉練りが行われていました。愈々明日が和尚と新命和尚の出番で、早朝より花団子作りに入ります。午前中には、臨済宗妙心寺派第五部・宗務支所長の瑞源寺様が来山され、今年度の秋に予定されている本山団体参拝並びに事務手続き等の打ち合わせをしましたが、京都妙心寺での全国宗務所長会議が昨日終了したばかりで一刻も早い各部への事務伝達が求められています。最近、役職を遂行しながら組織の大切さやその仕事の面白さを感じ取っています。
午後からは卑山志納所に置かれているお守りの業者さんが来山され、新命副住職と共に対応しましたが、時代とともにお守りに求められている祈願文も変化しているようです。最近では小さくて可愛い、おしゃれなものが人気だそうで、お守りもファッション化して行くような気配です。またお守り需要の多様化も手伝って、単に「健康お守り」のみでは無く、身体それぞれの部位を示すお守り、例えば「耳お守り」「足お守り」「眼お守り」という風に人々の求めに応じてのお守りが工夫されているようです。
寳勝寺で人気の「美しまもり」
皆様も旅行に出掛けた際、寺院などではお守りをお求めになられることと思いますが、その時には注意深くご覧頂きたいと思います。きっと感心させられるお守りさんと出会う事必定だと思います。和尚の年齢ぐらいになりますと、身体全体を包み込むようなお守りが欲しいものです。名付けて「安楽お守り」です。ひょっとしてそれが「僧衣」なのかも知れないとふと思った午後のひとときでした。まもなくお彼岸会です、ご家族でお参りください。「南無観世音菩薩」 友峰和尚より
第941話
3日間に渡った会議を終えて自坊に戻りました。明日からは彼岸・涅槃会の準備に入りたいと思っていますが、 今年こそは涅槃団子に工夫を加えて、今までに無かった珍しい図柄の団子を作ってみたいと意気込んでいます。
昨年の花団子
団子作りはなかなか手間の掛かる、体力のいる仕事で、見ているほど簡単ではありません。仕込みは前日より始まり、多くの手慣れた檀信徒皆さんの協力で米粉が練り上げられます。このような作業が数百年続けられて来たのかと思うと、俄然尊く感じられてくるものです。 一般的には「花団子」と言われている涅槃団子は、お釈迦様の御徳を分けて頂く為のお供え物だけに、今から作るのを楽しみにしています。どなた様の俳句だったでしょうか? 「春彼岸 菩提の種を 撒く日かな」という句が有りましたが、花団子が供養の後に参拝者皆さんに撒かれるのもそういった意味合いが含まれているのだと思います。春彼岸会と涅槃会、どうか皆様是非お参り下さい。昔から今日に至るまで脈々と続けられて来た伝統的仏教行事の継承が、大切な仏法の伝承でもあると思うこの頃です。友峰和尚より
第940話
全国宗務所長会議二日目。今日は早朝の開山堂拝塔に引き続き、妙心寺管長猊下ご出席のもと小方丈にて総茶礼が行われ、その後、微笑殿にて本尊諷経(ほんぞんふぎん)が行われました。盆地の京都はさすがに厳しい冷え込みとなり、まだまだ春は遠い先のようで、学生の頃を思い出していました。
昨日に引き続いての会議でしたが、午後4時には無事に終了し、少しの休息時間を利用して久しぶりに妙心寺山内を散策しました。皆様は妙心寺に参拝されたことが有りますでしょうか?今から約670年前に、花園上皇が時の高僧・関山慧玄禅師を花園離宮に迎えられ開山とした、臨済宗妙心寺派の大本山です。当時の御所地でもあっただけに、今も閑静かつ荘厳な雰囲気を保っています。宗務本所はその入口に建てられており、会議を終えた後の散策は実に爽快でした。宗務所長を拝命して丸4年が過ぎましたが、その間、妙心寺に参拝できる幸せをずっと感じて来たものでした。言い換えれば御釈迦様に一歩でも近づける場所とでも言いましょうか? それと同時に、全国の僧侶仲間達に会えることも楽しみの一つとなっています。
古都京都は和尚にとってやはり格別な場所のようです。不思議なことに、大安禅寺の禅風、寳勝寺の禅風そして妙心寺の禅風はそれぞれに趣きを異としているのですが、共通点はいづれも清々しい空気に包まれているというところでしょうか。 せっかく京都に来たのだから先斗町にでも行ってみようかなんて思いましたが、まもなくお彼岸会を控えているのでここんところは我慢、我慢です。遠くから修行僧の打つ木版の音がこだまして聞こえてきます。観光都市・京都ですが、妙心寺だけは全く別世界のようでした。さて、明日も頑張ってまいりましょう。友峰和尚より
第939話
世界的にも名が知られている古都・京都ですが、JR京都駅からはそのような古都の雰囲気は全く感じられません。されど超近代的な駅の建物が観光客に自然に受け入れられているのも事実のようです。今日は会議出席のため妙心寺の宗務本所に来たわけですが、流石にそこだけは別世界の聖域と感じました。
近年は地球全体での文化遺産保護運動が活発化しており、さらなる保護を願うものです。大安禅寺の建造物が国指定重要文化財となって8年が経過しましたが、その間にも色々な個所が傷んでいきます。文化遺産を後世に残していく事の大切さを感じながら、今後も保存の努力が求められています。
さて、今日の全国宗務所長会議も同様に、我が宗派発展の為の質疑応答がなされましたが、人間だけは文化財保護のようなわけには行かず、常に進化が求められています。伝統的宗教の形骸化を防ぐための会議ながら、寺離れや墓じまい・派遣僧・直葬などの社会的現象に対処するにはやはり仏教の原点に立ち返る事が必須のようです。言い換えれば、伽藍仏教から人間仏教に立ち返るチャンスは今なのかも知れません。早春の古都、大本山妙心寺の禅風そのままに法悦を感じ取りながらの会議参加となりました。友峰和尚より
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