和尚のちょっといい話
境内の地面のあちこちに幾つもの小穴が開いていますが、これらは御承知の如く蝉の穴で、この時期は早朝より蝉しぐれとなっています。「閑かさや岩にしみいる蝉の声」とは俳人・松尾芭蕉の有名な一句ですが、この「しみいる」の表現が蝉の一生を象徴しているかのようです。7年にも及ぶ長い年月を地中で過ごし、地表に姿を現した時にはわずか一週間でその命を終えるわけですから、岩に「しみいる」程のエネルギーをもって全パワーで鳴くのもうなずける話です。では、何が故にそれほどまでに大声で鳴くのかですが、それは言うまでも無く「生命の継承」の為で、雄蝉が雌を誘う行為だそうです。それは果樹の場合も同じで、「桃栗三年 柿八年 梅はすいすい十三年!」と有りますように、これとて果実をつけて種の継承を目的としています。
それでは人間はという事になりますと、どうでしょうか? 自然界の動植物と同じく子孫繁栄と生命の継承の為の努力はどうかと自省してみますと、力を尽くして大声で鳴いたわけでも、また桃や栗のように三年八年で生命を継承できるわけでも有りませんから、やはりこの辺でいちど、「人類の生命継承の為の努力とは何か」を問いかけてみる必要があるようです。禅の言葉に「言いうるも三十棒、言いえざるも三十棒」とありますから、生命の尊さに対しての問いかけが日々求められているようです。「蝉しぐれ」から教えられることは「生命継承の為には人生死力を尽くせ!!」という事でしょうかな「カナ、カナ、カナ、カナ??????」 そこで和尚の一句、「我ありて 我無きところ 蝉しぐれ」友峰和尚より