和尚のちょっといい話
少林寺盂蘭盆会法要のようす/少林寺本堂にて
台風一過、猛暑になると思いきや涼しい風が吹き抜ける中、少林寺盂蘭盆会の法要が修業されました。金沢市の高台にある寺町寺院群は日本海を見下ろす位置にあり、犀川を海の方からまた逆に野田山の方からと大変涼しい風が吹きつけます。昨日の天気予報では、今日は30度を超える真夏日になるというので寳勝寺から扇風機3台を持ち込んでの法要となりましたが、扇風機も顔負けといったところでした。
約30名近いお参りの中、施餓鬼会法要が営まれました。和尚の一人三役といった忙しさでしたが、無事に法要を終えた後の爽快さは格別なものがありました。何がそうさせるかは言うまでも無く故人の御霊が喜んでいるからです。このような心の世界は、宗教者のみが知りうる世界なのかもしれませんね。
昨日のテレビ番組で現代のお墓事情がいろいろ紹介されていましたが、その中で、自分の亡きあと子供たちには墓守りをしてもらえないという理由から、先祖代々の墓地の「墓じまい儀式」が放映されていました。本当に残念な光景でした。最終的に、先祖のお骨は海に「散骨」として撒れたわけですが、そうなりますと自分は何のためにこの世に命を頂いたのか、きっといつの日か自分に問い直す時が来ることと和尚は思います。”墓じまい”の状況には色々な事情はあるにせよ、過去の戦争で多くの英霊がいまだ国外の地に眠っている現状の中、親の遺骨を求めて今なお激戦地を訪ね歩いている遺族の方々のお気持ちをどのように捉えるのでしょうか。我々がこの世に命を頂いてよりもっとも大切なことは、祖先の恩と父母の恩に感謝の誠をささげることにあると思います。その気持ちが「お墓」という形となって、幾多の困難な時代を通し今日まで代々感謝の心として受け継がれてきたものと思われます。「親の背中を見て子は育つ」と言います。先祖のお墓に花や供物を供え線香を捧げる姿こそ、「目に見えぬ祖先の霊に敬虔な気持ちを捧げる親の後ろ姿」であることを、心から思う今日の盂蘭盆会法要でした。友峰和尚より
法要終了後の法話のようす