和尚のちょっといい話
日々の座右の銘は皆それぞれに色々あると思いますが、総じて「光陰矢の如し 時人を待たず」が一番身に迫るものが有ります。今年も間もなく半年にならんとしているように、「時」ほど大切で惜しいものは有りません。時間は否応なく過ぎ去って行きますから一刻たりとも疎かには出来ません。若い時はそれほど感じなかった過ぎ行く時間が加齢とともに早く感じられるのも、人生も残り少なくなって来た何よりの証拠だと思います。振り返って見れば、修行時代の時間の使い方は実に無駄がなく、一日を十二分に使い切っての毎日だったと自覚するものです。六年間に渡る修行でしたが、どうやらその時に培われた時間の使い方が今もって日常の生活パターンとなっているように思います。
そもそも現代社会に有っても、3時に起床して深夜の12時頃まで休息することなく仕事をこなすような世界はそう多くはないと思います。勿論、修行は仕事ではないのですが、早朝の読経に始まり坐禅、講義、作務、掃除、諷経等の規則正しい禅門の日々の生活は、充実したすばらしい時間の使い方であったと改めて思うものです。和尚の今の生活リズムが僧堂時代に培われた精神鍛錬法だったのかも知れません。本当に刻一刻と差し迫って来る終末を只傍観しているわけにはいきません。臨済禅の修行方法を現代の若者達にも是非体験して頂きたいと思ったものです。まさに「時は金なり」「一寸の光陰軽んずべからず」です。今日も一見して普段と変わらないように見える行動の中に有っても、今を生かし切っていく事の大切さだけは忘れずにいたいものです。友峰和尚より