寶勝寺日誌

平成31年度 春季彼岸会法話
2019年 03月 29日

 

【平成31年度 寳勝寺春季彼岸会 住職法話】

 

・・・宝勝寺に住持して約8年になりますが、春のお彼岸とお盆の年中行事も定着して参りました。現代は多くが核家族になり、若者も故郷を離れて都会で生活するようになりますとおのずと寺に来る機会も無くなっていきます。このような時代ではありますが、幸いなことに宝勝寺では再び檀信徒様とのご縁が深まり、御先祖供養がなされ、法が守られていくことを誠にありがたく思っております。 

 

 

・・・本日の法要「追善(ついぜん)の一偈(いちげ)」は、”一樹春風両般(いちじゅしゅんぷうりょうはん)有(あ)り、南枝(なんし)は暖(だん)に向かい北枝(ほくし)は寒(かん)”という、江戸時代の高僧・白隠慧鶴(はくいんえかく)禅師の「槐安国語(かいあんこくご)」に出てくる禅語です。人生はそれぞれに色々な因縁が有り、南向きに生まれたいと思っても北向きに生まれる者も有り、陽の当たらない場所に生まれる者もあります。しかしその場所で辛抱して努力を続け、じっと真理を追究していくとやがて必ず「ひとつの樹」が見えてくる、それが「悟り」です。 ・・・我々は皆、百点満点で生まれている。みんな完璧だけれども、寒い所に生まれてくると縮(ちぢ)こまってしまいます。生まれて以後、自分で思い込んで萎縮(いしゅく)しているようなものを開放していかねばなりません。 

 

 

・・・『無門関(むもんかん)』という禅の書にこんな話があります。“瑞巌(ずいがん)の彦和尚(げんおしょう)、毎日自ら「主人公。」と喚(よ)び、復(ま)た自ら応諾す。 即ち云(いわ)く、「惺惺著(せいせいじゃく)、喏(だく)。」” 今から千二百年前、中国浙江省(せっこうしょう)の彦和尚(げんおしょう)が毎朝、坐禅をしながら「主人公!」と叫び、「惺惺著(せいせいじゃく)、喏(だく)。」と自分で応諾したという逸話です。 「惺惺著(せいせいじゃく)」とは「騙(だま)されるな、目を覚ませ!」という意味です。人生の主人公は自分なのに、外の世界に求め、とらわれ、喜怒哀楽に振り回されている。その喜怒哀楽も自分自身が作っているわけでして、「騙されるな、目を覚ませ!」とは即ち 「自分の煩悩を使いこなせ!けっして振り回されるな!」ということです。

 

 

・・・人間は非常に危ういもので、常に揺らいでいます。だからこそ油断せず、確認をせねばなりません。目はしっかり見、耳はしっかり聞いているか? 相手ときちんと対峙しているか? と自分に問いかけ、モヤモヤした心があれば払拭してパッと切り替える、それが「惺惺著(せいせいじゃく)。」です。 坐禅も読経も、自分に騙されないように心を整えているわけであります。

 

 

・・・「彼岸」とは「中道(ちゅうどう)」、すべてが一体となった何もない世界です。 相手になりきって、自分を捨て切ったらもう自由自在です。 好事(こうじ)も無きに如(しか)ず、 良い事も悪い事も、自分も他人もない、「無事」こそが本当の心の安らぎというものですね。 

 

平成31年3月17日 寳勝寺春季彼岸会 住職法話より (事務局編集)             

Copyright© 2014 臨済宗妙心寺派 太白山 寶勝寺 All Rights Reserved.

〒921-8033 石川県金沢市寺町5丁目5番地76号
電話:076-287-3870