和尚のちょっといい話
早朝、朝顔の植え替え
地元某テレビ局の取材がまもなく寶勝寺で有ります。これまで、各局の取材目的は「寶勝寺・寺カフェ」についての和尚のコメント要請でしたが、今回は対談方式で、実際に寺カフェを利用して頂きながらのお話となるそうです。
沢山のお水をやりながら
「禅寺とカフェ」一見ミスマッチのように思えがちですが、そもそも昔からの禅語に「喫茶去(きっさこ)」と有るように、その意味は「どうぞお茶を召し上がれ!」で、お寺とお茶は古来より切っても切れない縁を有しています。現在日本で流通しているお抹茶のルーツなどは、禅宗の高僧・栄西禅師が1191年に中国からお茶の木を持ち帰り、「抹茶」として日本全国に広めて有名になったというくらいですから、いわば禅寺でお茶を振舞ったのは栄西禅師が元祖ということでしょうか。
「日中友好の朝顔」独特の曲線を描く葉
少々お話が飛躍しそうになりましたが、「お寺」という意味そのものもインドでは「ビハーラ」と言って「休憩する、憩い安らぐ場所」という意味ですから、全くに寺本来の姿こそ多くの市民の心安らぐ唯一の場所となることだと思われます。寶勝寺も最近では、寺カフェのお客様とは別に、和尚を訪ねて来られる客人も増えてきました。その際もお茶を振舞いますが、どうやら「お茶を飲みながらの会話」は、より親しみを増していくようです。
一日休まず伸びる新芽
お茶が取りもつ仏縁です。若者の寺離れが加速する現代社会に有って、今、卑山・寺カフェには多くの老若男女が集っています。「笑う門には福来る!怒る門にはホスピタル!涙の門には縁来る!」多くの方々との仏縁を結んでいく寶勝寺、いよいよその真価が問われそうです。友峰和尚より