和尚のちょっといい話
「掃除」。こんな快適な気分を味わえる行動は他に有りません。昨日に引き続き阿吽庭と本堂前の境内掃除に集中しました。最近のイノシシ被害は庭にまで及び苔という苔が無茶苦茶にされましたが、イノシシにも食糧事情があると思いますから、そこんところはグッと堪えて庭掃除も今では苔抑えから始まる始末です。阿吽庭は砂庭を伴いますから掃除にも時間がかかり大変重労働ながら、掃除終了後の庭園風景には何とも格別な気分に浸ることが出来ます。
「掃除」実に簡単な言葉なれど、除き掃う!の行でもありますから、心も同時に作用する極めて奥の深い作業だと感じます。彼岸会を間近にしての外掃除でしたが、これでまずまずの仕上がりという事になりました。そんななか、野口美智子様よりお電話を受け、今回のニューヨークでの個展に新たにもう一名参加したいとの事。「早速お伺いします」とのことで、掃除をしながらお待ちしていました。新メンバーは野口社中の丸子信子さまで、先生のもとで約14年間文房流のお煎茶とお花をお稽古された方だそうで、先生に伴って個展参加の挨拶に来られたわけですが、本当に有り難い話です。また野口先生は和尚のブログを見ていて下さり、連日のお掃除のお話に対して、陣中お見舞いのお言葉と和尚の好物を持参くださいました。心から感謝申し上げます。
出発まであと一か月となりました。和尚も今後は健康に十分留意して、万全の態勢で個展に臨みたいと思います。さて掃除ですが、「掃除」は第一に体全体を動かすとても理想的な運動だと思います。大安禅寺のような広い広い境内を毎日掃除するのは大変ですが、綺麗に掃き清められた境内は値千金です。「掃えども風が持てくる落ち葉かな」深まりゆく秋とともに落ち葉も容赦なく舞い散る毎日です。何事も無常の中にこそ本来の安らぎを見出すものです。枯れ葉の舞い散る姿に来年の新しい若葉を想像しながらの掃除です。新陳代謝の中に初々しい命を思うのは和尚だけでしょうか。「一日作さざれば一日食らわず」とは百丈懐海禅師のお言葉です。こころから納得のお言葉ですね。今日もお掃除できたことに感謝したいと思います。友峰和尚より