建 物 と 歴 史

寺院の歴史

寳勝寺は、太白山と号し臨済宗妙心寺派に属する。禅僧として、

著名な千岳宗仞(せんがく そうじん)禅師が美濃(今の岐阜県)

から金沢に来て小庵を結んでいたが、寛永八年(1631)、現在

地に加賀藩三代藩主・前田利常より寺地を拝領し、創建された

お寺で、山門・本堂・庫裡は創建当初の建物と考えられる。

開山、千岳宗仞禅師

千岳宗仞禅師は特に加賀藩三代藩主・前田利常からの信頼が

厚く、荒廃していた伝燈寺の復興を命ぜられたり、また能筆で

文章力にも優れていたため、利常から小松の梯天満宮の棟札

を揮毫するように命ぜられたりした。千岳禅師は後に隠居所と

して三間道の少林寺を建て与えられたという。

寺 院 内 宝 物

ご本尊

蓮が座にお座りになる十一面観音菩薩をご本尊としてお祀りし、

左右には十六羅漢像を配置する形式となっている。

天女 左側 壁画図

ご本尊の両側に配置された壁画で創建当初からの物と

思われる。保存状態もよく鮮やかな色彩が残されている。

天女 右側 壁画図

 

 寳 勝 寺  考


●「波と兎〜なみとうさぎ〜」について

 寳勝寺内陣の、さらに奥に、位牌壇があります。

位牌壇の中央には、歴代住職の御位牌とともに地蔵菩薩が御祀りされており、

その祭壇の上位には、「波と兎」の意匠が彫刻されています。

寳勝寺での日々のお勤めの中で、興味深いことは数多くありますが、

日ごろから、(なぜ、「波と兎」の装飾なのだろう?)と、たいへん不思議な

感覚で拝見していましたので、ここに、話題として掲載させて頂きました。





「波と兎」の意匠は、醍醐天皇の時代のことを描いた謡曲「竹生島」(室町時代)の、

以下のような物語によるものだそうです。

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宮廷に仕える朝臣が、琵琶湖の竹生島に祀られている明神様に参詣するため、

湖岸まで来たが、舟がなく立ち往生していると、そこに、海女と翁の乗った船が

通りかかり、舟に同乗することを許された。その際、竹生島へ向かう舟から見える

湖畔の景色を、歌に詠んだ。


「緑樹影沈んで 魚木に登る気色あり 

月海上に浮かんでは 兎も波を奔るか 面白の島の景色や」


〜緑深い木々の影が湖に映り、魚たちが木を登っているように見える。月も湖面に
映り浮かんで、月に住む兎が波間を駆けているようだ。なんと幻想的な、島の景色で
あることだ・・・〜


舟が竹生島に着くと、海女は弁財天に、翁は竜神に姿を変え、廷臣は、改めて

竹生島の霊験を知ったのだった・・・

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「弁財天」というと、寳勝寺の御内陣には「天女」の壁画が掲げられていますので、

このお飾りを作った方(もしくは作るように指示した方)のお気持ちを思わずには

いられません。 寳勝寺のレリーフでは、中央に、宝船?とも見えるものが波に

持ち上げられ天へ昇るような彫刻もありますので、この船の中に、

弁財天さまと竜神さまが乗っておられるのかもしれません・・・。


また、竹生島は浅井一族ゆかりの島であり、寳勝寺も浅井氏との深い御縁が

ありますので、この彫刻がいつ、誰によって作られたものなのか、

ますます興味と推察が深まります。




「波と兎」は、江戸時代にはあちこちで多く用いられた意匠であることから、

特別に深い意味合いは無いのかもしれませんが、いずれにせよ、ウサギは

「繁栄」の象徴であり、また、波は「水」で、火災から建物や財を守りたいという

願いが込められているとのことで、寳勝寺を築いてきた方々の、お寺を守りたい

という思いが、深く伝わってくる「波と兎」の意匠であります。


左側に彫られた兎(上の画像)は金眼で、右側に彫られた兎(下の画像)は黒眼です。

一対で雌雄のようであり、動と静のようでもあり、毛並みや指先のしなやかさなど、

生き生きとして心意気が伝わってくるようです。   (コメント:山口)







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