和尚のちょっといい話

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友峰和尚のちょっといい話 【 第465話 】
2014年 11月 26日 談

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紅葉の大安禅寺 境内

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寳勝寺檀信徒の額様ご夫妻が、大安禅寺へご来山下さいました

「われ思う故に われあり」とはフランスの哲学者デカルトの言葉ですが、何の変哲もないこんな言葉でも、よくよく言葉を吟味するととても味わい深いものです。晩秋の景色を見ながら哲学してみるのもなかなか風流ですよ。反対に「われ思わなければ われなし」でしょうか。そうですね、この「我」に生涯を通じて人々はお付き合いして行くのですから、「我」さえしっかり捉えていれば何の心配もないのですが。そこで昔、こんな言葉で心を表現した句が有ります。「我という 小さきものを捨ててみよ 三千世界に 障るものなし」なんてね。とても面白いと思いませんか? この「我」を捨てる手段として、人間は古来より色々な方法を用いて工夫してきたのだと思います。今日「道」とつくあらゆる習い事は心を極めるための手段ですから、六十の手習いでは有りませんが書道などは特に色々な意味で自分の心を楽しみながら出来る道の究め方の一つだと思います。

IMG_4380赤や黄に染まる子安観世音菩薩像の御前

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近年は書道ブームの傾向が有り、老いも若きも書道に親しむことは日本の文化でもあり大いに結構だと思います。和尚などは、お寺に生まれた関係で否応なく子供の頃から筆と接してきたわけですが、少なからず「筆さん」に対しての思いは強いものが有りましたね。「われ思う故に 我あり」の言葉の如く、われ思う故に筆ありで、我の感情を筆で表現するところに書道の醍醐味が感じ取られます。加齢とともに悲観的になるのではなく、加齢こそ我を思う心が円熟してくるものと和尚は思います。が故に、これから本当の意味での「我」の人生が始まって行くように思う今日この頃です。心の円熟期でもある今こそ和尚は哲学してみたいと思います。今日は早朝より秋雨が紅葉の全山を濡らしています。われ思う故に紅葉もまた我なのかもしれませんね。南無観世音菩薩 友峰和尚より

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IMG_4385越前松平家の廟所「千畳敷」を拝観

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